聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2022]

2022年 02月 12日 (土)

マルコの福音書4:1-20(20)
百倍の実を結ぶ人

 イエス様は、湖のほとりで群衆に多くのことをたとえによって教えられました。たとえとは、物事を自然現象などのよく知られている事柄に置き換えて表現する手法です。聞き手に対して、生き生きと実感させる効果を持ちます。

 イエス様は種を蒔く人のたとえを教えられました。種蒔きに出かけて蒔いていると、それぞれ道端、岩地、茨の中、良い地に落ちました。この中で、良い地に落ちた種だけが実を結ぶことができました。その後、イエス様だけになった時、周りにいた人たちが十二人とともに、たとえについて尋ねました。イエス様は、たとえによって教える理由について言われました。神の国の奥義をたとえによって教えるのは、主の中にとどまって悟りたいと願う人には豊かに与えられ、興味を持たない外の人たちには隠されるためです。彼らは、見るには見るが知ることはなく、聞くには聞くが悟ることがなく、彼らが立ち返って赦されることがないようにするためです。

 イエス様は、種蒔く人のたとえを解き明かしてくださいました。道端とは、御言葉を受け入れようとしない頑なな心の人です。サタンが来て、蒔かれた御言葉をすぐに取り去ります。岩地のような心の人は、御言葉を聞くとすぐに喜んで受け入れますが、根がないので御言葉のために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。茨の地のような心の人は、この世の思い煩いや富の惑わし、そのほかいろいろな欲望が入り込んでみことばをふさぐので、実を結ぶことができません。良い地とは、土を掘り起こして、石や岩、茨などを取り除いてよく耕した柔らかい土の地です。良い地のような心の人は、御言葉の種が蒔かれると、御言葉を聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶようになります。



適用:どんな地ですか

一言:良い地



2022年 02月 13日 (日)

マルコの福音書4:21-34(28)
初めに苗、次に穂

 人が明かりを持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためではありません。燭台の上に置くためです。明かりを照らすためです。イエス様がたとえによって教え、隠し、秘められたのは、真理をあらわにするためであり、明らかにするためです。切なる願いを持って、熱心に捜し求める人が真理を見つけることができます。

 御言葉を聞く時、聞いていることに注意しなければなりません。聖霊様が聖書本文で何を言っておられるのか細心の注意を払って聞く姿勢が必要です。自分が量るその秤で自分にも量り与えられます。御言葉を黙想すればするほど恵みが溢れる原理です。持っている人はさらに与えられ、持っていない人は持っているものまで取り上げられてしまいます。富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる霊的格差が生まれます。切なる願いを持って御言葉を聞けば豊かな恵みの世界に入ることができますが、すでに分かっていると思うマンネリ化した姿勢では、かろうじて維持している恵みさえも失ってしまいます。

 神の国は、人が地に種を蒔くことで始まります。夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。福音の働き人は、神様が種を育ててくださることを信じて、忍耐し、待たなければなりません。地はひとりでに実をならせ、種が芽を出すと、初めには苗、次に穂、次に多くの実ができます。必ずこういう過程を経て実ができます。実が熟すと、やっと鎌を入れて収穫できるようになります。地が持っている力を信じて、自然法則に従い、忍耐して待つ農夫のように、福音の働き人もそうあるべきです。何よりも、神様が育つようにしてくださることを信じなければなりません。



適用:はやく実を結びたいですか

一言:忍耐



2022年 02月 14日 (月)

マルコの福音書4:35-41(40)
まだ信仰がないのですか

 その日の夕方、イエス様は弟子たちに向こう岸へ渡ろうと言われました。イエス様と弟子たちが乗った舟は向こう岸に向かって出港しました。ところが、航海の途中、激しい突風が起こって、波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになりました。今にも転覆しそうになりました。

 その時、イエス様は船尾で枕をして眠っておられました。ガリラヤ湖をよく知るベテラン漁師出身の弟子たちは荒波に立ち向かいましたが、どうすることもできませんでした。彼らは取り乱し、イエス様を起こして言いました。「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」。イエス様は起き上がって風を𠮟りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われました。すると、風はやみ、すっかり凪になりました。イエス様は弟子たちに「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか」と言われ、彼らの不信仰を叱られました。

 イエス様の御言葉に従って漕ぎ出した人生の大海原で、激しい突風が起こることもあります。今にも自分が死んでしまいそうな大きな危機と困難に直面する時もあります。イエス様は、私たちが突風の中でも、共におられるイエス様を信頼し、揺るぎない平安の中にいてほしいと願っておられます。不信仰と恐れに支配されて騒ぎ立てたら、荒波に飲み込まれてしまいます。しかし、突風を静めてくださるイエス様に目を固定し、頼るなら、どんな突風の中もくぐり抜けることができます。



適用:突風を怖がっていますか

一言:信仰


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