聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2007]

2007年 03月 27日 (火)

ルカ8:1-18
種を蒔く者のたとえ

Ⅰ.良い心の地(4-15)
 種を蒔く人のたとえを顧みてみましょう。種はそれぞれどこに落ち、落ちた種はどのようになりましたか(4-8)。種は神様の御言葉を指し、地は御言葉を聞く者の姿勢を意味します。道ばたは傲慢、偏見、人間的な考えによって悪魔から御言葉を奪われる人です。岩の上は、信仰の根がなく迫害があった時に簡単につまずく人です。いばらの真中はこの世の恐れ、金銭的な欲望、世の楽しみに捕らわれ、実を結ぶことができない人です。良い地は正しくまっすぐな心で御言葉を聞き、その御言葉を堅く守り、耐え忍ぶことで、実を結ぶ人を指します。
 私たちが百倍の実を結ぶ道は、私たちの内面にある実を結べない要素を徹底的に取り除き、御言葉に聞き従うことです。忍耐によって、実を結ばなければなりません。
Ⅱ.だから聞き方に注意しなさい(16-18)
 イエス様がたとえで話されたのは、その意味をはっきりと知らせるためです。それで御言葉を注意深く聞き、信じて従う者はさらに深く広い神様の御国の秘密を知るようになります(17)。そうしなければ、持っている知識や喜びまでも取り上げられてしまいます。

祈り:主よ!私が謙遜に御言葉を受け入れることができず、聞き従うことができなかった罪を悔い改めます。私が御言葉を深く受け入れ、聞き従います。

一言:聞いて守り、忍耐で実を結べ



2007年 03月 28日 (水)

ルカ8:19-25
イエス様の本当の家族

Ⅰ.イエス様の本当の家族(19-21)
 イエス様が教えておられました。その時、母と兄弟たちがイエス様に会いたくて訪ねて来ました。しかしイエス様は本当のご自分の家族は神様の御言葉を聞いて行なう者だと言われました(21)。
 イエス様は、ご自分について行く者たちに、霊的な家族が本当のイエス様の家族であることを悟らせました。イエス様の家族は神様の御言葉を愛し、実践する人です。イエス様は血肉で結ばれた家族より御言葉で結ばれた家族を尊く思われます。
Ⅱ.あなたがたの信仰はどこにあるのです(22-25)
 ある日、弟子たちが舟をこいでいた時、イエス様はぐっすり眠ってしまわれました。ところが突然突風が潮に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になりました。その時弟子たちは死の恐怖と絶望の中でイエス様を起こしました(24)。
 イエス様は目を覚まし、風と荒波とをしかりつけ、静めました。そして弟子たちに信仰がないことをとがめられました。「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」。弟子たちは普段は信仰を持っているかのように大きなことを言っていました。しかし本当に信仰が必要な時に、恐怖に捕らわれてしまいました。イエス様は揺れ動くことのない信仰を喜ばれます。

祈り:主よ!私が霊的な家族観を持てず、血縁に縛られ主を悲しませた罪を悔い改めます。私がどんな状況の中でも、絶望せずにさらに強い信仰を持つことができるように助けてください。

一言:霊的な家族が本当の家族



2007年 03月 29日 (木)

ルカ8:26-39
何という名か

Ⅰ.何という名か(26-30)
 イエス様が陸に上がられると、悪霊につかれ何も身に着けずに墓場に住んでいる狂人に出会いました。イエス様は彼を苦しめている汚れた霊に命じて、「この人から出て行け。」と言われました(29)。すると彼はイエス様を見て叫びました。彼は、イエス様が神様の御子であることを、知っていましたが、聞き従いませんでした。
 イエス様は続けて「何という名か」と質問されることで、失った自我を取り戻そうとされました。彼は初めて大勢の悪霊につかれていることを発見するようになり、悪霊は出て行く準備をしました(37)。彼がイエス様の御言葉を聞いて、自分を発見するようになった時、悪霊はこれ以上、彼にとどまることができなくなりました。
Ⅱ.豚の群れを犠牲にしたイエス様(31-39)
 悪霊はすぐには去ろうとはしませんでした。豚の群れを犠牲にすることを要求しました(32)。イエス様がお許しになると、悪霊たちは豚に入りました。その時豚は湖にはいり、おぼれ死にました。
 イエス様は廃人のような一人のいのちを生かすために、おびただしい数の豚を犠牲にしました。それは一人のいのちが多くの豚よりも尊いからです。しかし、村人たちはイエス様を見て、自分たちのところから離れていただきたいと願いました。彼らは人より豚をもっと愛したからです(37)。

祈り:主よ!悪霊につかれた一人の命を生かすために、ご自分の命までお捨てになった愛に感謝します。私にも一人の命を尊く思う信仰をください。

一言:一人の命は地球よりもまさる



2007年 03月 30日 (金)

ルカ8:40-56
恐れないで、ただ信じなさい

Ⅰ.わたしにさわったのはだれですか(42b-48)
 十二年間長血をわずらった女は自分の病気のために、イエス様のところに行って助けを求めることができませんでした(レビ15:19-30)。しかし、彼女は自分の人間条件と絶望を克服するために、信仰によってイエス様の着物のふさにさわりました。彼女は信仰によって出て行き、不治の病が癒されるようになりました(44)。
 しかしイエス様は密かに行なわれたことを知り、「わたしにさわったのはだれですか。」と尋ねられました。そして彼女に群衆の前で証しをするようにされました(47)。イエス様は彼女の自意識を砕かれ、たましいに平安をくださいました。
Ⅱ.恐れないで、ただ信じなさい(49-56)
 イエス様が、長血をわずらった女のことでとどまっておられた時、ヤイロの家から人が来て、「もう娘は死んでしまったので、イエス様をお迎えする必要はなくなりました。」と言いました(49)。彼らはイエス様のことを思うふりをしていましたが、ヤイロに恐れと不信を植えました。
 しかしイエス様はヤイロに、「恐れないで、ただ信じなさい。」と言われました(50)。不信者たちをみな追い出して、子どもを生き返らせます。信仰とは望み得ない時に、望みをおいて信じることです(ロマ4:18)。

祈り:主よ!私の恥ずかしい持病を癒され、死んだ者のような私を御言葉の力で生かしてくださり感謝します。私が自意識と恐れを克服し、大胆な信仰を持つことができるように祈ります。

一言:自意識と恐れを克服しなければならない


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