聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2007]

2007年 04月 18日 (水)

ルカ11:1-13
主が教えてくださった祈り

Ⅰ.祈るときには、こう言いなさい(1-4)
 イエス様は、弟子たちに、祈る時には「父なる神様に祈るように。」と言われました。その祈りの内容は、第一に、神様の御名があがめられ、御国がこの地に来るように、です。第二に、日ごとの糧をくださり、罪を赦してくださり、試みに会わせないで、悪から救ってくださるように、です。即ち、祈りはその対象がはっきりしていなければなりません。その内容は、まず神様の栄光のために祈らなければならず、自分のために求めるものは、具体的なものでなければなりません。
Ⅱ.求めなさい、捜しなさい、たたきなさい(5-13)
 祈りの内容だけではなく、祈る姿勢も大切なことです。友だちにめんどうなことを頼んだ時に与えられなくても、しつこく頼み続けることで、与えられるようになるからです。
 神様がみな知っておられ、くださるだろうと、待っていてはいけません。求め、捜し、たたかなければなりません。神様は、親友であり、良い父親です(11-13)。求める者には、求めるもの以上に最も良い賜物である聖霊までもくださいます。

祈り:主よ!私がそれまで方向性なく、自己中心的に祈りを多くしていたことを悔い改めます。これからはまず主の御国のために熱心に祈ります。

一言:御国が来ますように



2007年 04月 19日 (木)

ルカ11:14-26
神の指によって力を受けるイエス様

Ⅰ.神の指によって(17-23)
 内輪もめをする家や集まりは荒れ廃れ、つぶれてしまいます。賢い人はそれを遠ざけます。イエス様は決して悪霊の力をかりて、おしの悪霊を追い出されたのではありません。また悪霊を追い出すためには、悪霊よりも強くなければなりません。イエス様は悪霊よりも強い神様の指によって、悪霊を追い出されました(20)。悪霊が追い出される所に、神様の御国が臨むようになります。
 悪霊はあまりにも巧妙で強く、私たちは到底勝つことができません。しかし神様の指によって、私たちも悪霊を追い出すことができます。
Ⅱ.自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て(24-26)
 汚れた霊が出て行けば、その人の心はまるで掃除してきちんと片付けられた空家のようなものです。その時には、積極的に主を王として迎え入れ、御言葉で武装しなければなりません。また主のために積極的に献身する生活をしなければなりません。そうしなければ、それより悪い霊が集まって来て、初めよりもさらに悪い状態になります。私たちの心の家を、決して空けたままにしてはいけません。

祈り:私がすぐに自分の力と知恵に頼っていたことを悔い改めます。時ごとに、神様の指によって、中にいる悪霊の勢力を退けます。私の心の内側に主を王として迎え入れます。

一言:神様の指によって



2007年 04月 20日 (金)

ルカ11:27-36
しるしを求める人々に

Ⅰ.この時代は悪い時代です(29-32)
 しるしを求める時代は悪い時代です。彼らは、ソロモンよりも、ヨナよりもまさったイエス様を見て、その教えを受けました。しかしこの大きな特権を得ても、彼らは霊的な望みを持たず、悔い改める心もありませんでした。彼らは結局さばきの時に、異邦人たちから罪に定められるようになります(31,32)。
 イエス様は、このような悪い人々にはヨナのしるしのほかには、しるしは与えられないと言われます(29)。ヨハは魚の腹の中に三日三晩いましたが、神様の力で出て来ました。このようにイエス様は死なれ、三日目によみがえるようになります。この十字架と復活のしるしを見ても悔い改めない人々は神様のさばきを逃れることはできません。
Ⅱ.からだのあかりは、あなたの目です(33-36)
 あかりはつけて、燭台の上に置きます。このように神様の御国の秘密は誰でも、見て、聞いて、分かるようになっています。それでも天から来るしるしを求める理由は何でしょうか。それは目が健全ではないからです(34)。不信と傲慢、罪がその目を暗くしているからです。それで私たちは自分の目の中にある光が暗くないかどうかを、省みなければなりません。

祈り:主よ!主は私の不信仰と欲望のために死なれ、三日目によみがえられた私のキリストです。私は十字架のしるしを仰ぎ見て、私の不信と欲望を悔い改めます。

一言:しるしを求めることは不信仰である



2007年 04月 21日 (土)

ルカ11:37-54
自分を飾る者たちへ

Ⅰ.忌まわしいものだ。パリサイ人(37-44)
 ひとりのパリサイ人がイエス様を食事に招きました。ところがイエス様が手を洗わないのを見て、変に思いました。彼らは十分の一をきちんとささげ、形式的な信仰生活はよくしました。しかし神様に対する公義と愛はなおざりにしていました(42)。 
 主がご覧になる時、彼らは美しい墓のようでした。外側はきれいですが、内側は死体が腐っているように、彼らの内側は強奪と邪悪とでいっぱいだったからです(39,44)。このような人々は、外側より主がご覧になる内側をきよめなければなりません。
Ⅱ.律法の専門家たちも忌まわしいものだ(45-54)
 律法の専門家たちは聖書を教える聖書の先生です。彼らはまず自ら率先して御言葉に聞き従い、羊たちを真理の中に導かなければなりません。
 しかし彼らは羊たちに重荷を負わせながら、自分たちは指一本すら貸そうとはしませんでした(26)。それだけではなく、聖書の知識があるにもかかわらず救いの道に入ろうとせず、入ろうとする羊たちまでを妨げました(52)。このような人たちに対する神様のさばきはさらに重いものです。

祈り:主よ!私は中心をご覧になる主の前で、恐れ敬って生きることを願います。羊たちに教える前に、まず私自身に対して教えます。

一言:外側より内側をきれいに


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