聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2007]

2007年 04月 27日 (金)

ルカ13:1-9
悔い改めないなら

Ⅰ.悔い改めないなら(1-5)
 ピラトはガリラヤ人たちが扇動的であるために、あまり良く思っていませんでした。そして宮にいるガリラヤ人たちを襲撃して殺しました。これを見た何人かの人々が、イエス様にそれを知らせました。彼らは、死んだガリラヤ人たちが特別に罪が重かったため、神様のさばきを受けたと、考えました。またシロアムの塔が倒れて死んだ人々に対しても、同じように考えました。
 イエス様は、彼らのあやまった考えを悟らせ、彼らも悔い改めないなら、同じように滅びると、警告されました。誰でも悔い改めないなら滅びるようになります。例外はありません。このような不意の事故は神様のさばきの陰であり、警告として受け入れなければなりません。
Ⅱ.実がなければ(6-9)
 ぶどう園に植えられたいちじくの木は特別な存在です。しかし時になっても、実がならなければ主人はそのいちじくの木を切り倒すしかありません。クリスチャンも特別な存在です。しかし神様は、時になると実を要求されます。悔い改めの実を望み、変えられ、成長することを願われます。また、彼を通しての救いの実を望まれます。ところが時になっても実がなければ、さばかれます。

祈り:主よ!厳しい主の御前で恐れおののいて悔い改めます。私が漠然と無駄な時間を過ごさず、実を結ぶように助けてください。

一言:誰でも悔い改めないと滅びる



2007年 04月 28日 (土)

ルカ13:10-17
束縛された女を解かれたイエス様

Ⅰ.あなたの病気はいやされました(10-13)
 イエス様が安息日に会堂で御言葉を教えておられた時でした。十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全然伸ばすことのできない女がいました。十八年間も病んでいたとは、その苦しみはどれだけのものだったのでしょうか。悪霊はこの女の幸福を奪って行きました。イエス様はこの憐れな女に言われました。「あなたの病気はいやされました。」すると女はたちどころに腰が伸びました。イエス様の御言葉は彼女を救う力となりました。
Ⅱ.この束縛を解いてやってはいけないのですか(14-17)
 会堂管理者は、イエス様が安息日に病気をいやされたのに憤りました。彼は一人が病魔から解放されたことを喜ばず、自分は安息日を守っているのに、イエス様はこれを破ったと言って、群衆の前で叱責しました。
 イエス様は彼の偽善を咎めました。彼らは安息日でも牛やろばを小屋からほどいて、水を飲ませました。ところが十八年間、サタンに縛られた一人を解いたことを非難することは、どれだけの偽善でしょうか。霊的な指導者は羊たちのいのちを救うのにおいて、形式と律法を超越した牧者の心情を持たなければなりません。

祈り:主よ!私をサタンの束縛から解いてくださったことを感謝します。私が形式と律法の束縛からも解放されるように助けてください。

一言:全ての束縛から解いてくださるイエス様



2007年 04月 29日 (日)

ルカ13:18-30
神の国は

Ⅰ.からし種とパン種(18-21)
 からし種は最も小さな種ですが、生長して空の鳥がその枝に巣を作るほどに大きな木になります。このように神様の御国は小さなところから出発して、大きく成長します。
 また、パン種は発酵させる力が強く、少ない量でも全部をふくらませます。このように神様の御国は影響力が強いものです。一人の心に神様の御国が臨めば、彼が成長して影響力ある人に変わります。教会は小さな集まりから始まりましたが、今日では全世界に広がり、大きな影響を及ぼしています。
Ⅱ.狭い門(22-30)
 イエス様は、なぜ救いを得る人が少ないのですか、という神学的な質問に対して、「狭い門からはいりなさい。」と実質的な答えをされました。天国の門は狭いです。それで救われる者は少ないのです。言葉では、主のために生きるといいながら、実際には世の人々と変わらない罪深い生活をしている人々は入ることができません。
 また、救われたといって、自分勝手に生きていてはいけません。しんがりの者が先頭になり、先頭の者がしんがりになるのです(30)。それで傲慢になり、安逸になり、霊的な闘争をおろそかにするなら、神様の御国から追い出され、悲しく歯ぎしりをするようになります。

祈り:主よ!私が神様の御国に入って、栄光ある宴会に参加することを願います。日々狭い門から入っていけるように力を入れます。

一言:神様の御国の門は狭い



2007年 04月 30日 (月)

ルカ13:31-35
エルサレム、エルサレム

Ⅰ.行くべき道を行かれるイエス様(31-33)
 あるパリサイ人たちが、イエス様のところに来て、ヘロデが殺そうとしているので、その統治地域を去って離れるように、知らせました。しかしイエス様はいのちが危険だからといって、そこから逃げたり、いのちの御業を中断したりしませんでした。今日も明日も次の日も、この地での使命を最後まで成し遂げようとされました。イエス様はエルサレムに行って十字架を背負うことで、救いの御業を完成させようとされました。イエス様は、ご自分が行くべき使命の道を一歩一歩歩いて行かれます。狐のようなヘロデがイエス様の行かれる道を邪魔することはできませんでした。
Ⅱ.エルサレムに対して嘆き悲しまれるイエス様(34,35)
 イエス様の心はエルサレムに向けられていました。イエス様は十字架を負うことで、人類の救いの御業を完成させなければなりません。イエス様はエルサレムを愛され、めんどりがひなを翼の下にかばうように彼らを集めようとされました。しかし彼らはイエス様に出て行こうとしませんでした。むしろ預言者たちに対してと同じように、イエス様を十字架につけました。イエス様の愛を拒んだ彼らは、結局神様のさばきを受けるようになります。今もイエス様は人々を憐れまれ、その大きな愛で抱こうとされます。主の懐に抱かれる時だけ、本当の安息があります。

祈り:主よ!罪深い人間に対する主の牧者の心情に感謝します。この時間悔い改め、主のもとに行きますので、抱いてください。

一言:イエス様の愛の懐に抱かれ


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