聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2007]

2007年 05月 15日 (火)

ルカ19:1-10
ザアカイとイエス様

Ⅰ.ザアカイをご覧になったイエス様(1-6)
 イエス様に会いたいという願いが、どれだけ切実なものであったのか、彼はいちじく桑の木に登りました。彼は多くお金を儲けましたが、お金に失望し、この世での生活に失望しました。彼は心が貧しく、義に飢え渇いていました。イエス様から光と救いを見ました。
 いちじく桑の木の下に行かれたイエス様は、ザアカイのことが分かり、「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と言われました。イエス様は、イエス様に会おうとする者の心と生活の中に入って行かれます。イエス様に会おうとする者は会うことができます。
Ⅱ.失われた人を捜して救うために来られたイエス様(7-10)
 人々は罪人の家に入って行かれるイエス様を非難しましたが、イエス様は気にされませんでした。イエス様を家に招き入れるようになったザアカイは感激のあまり、深く悔い改め、悔い改めの実を結びました(8)。
 イエス様はこのようなザアカイをアブラハムの子として認めてくださいました。それは、イエス様は失われた人を捜して救うために来られたからです。「失われた人」とは神様から離れ、金銭に貪欲であり、利己心と欲望を満たす者であり、他人を傷つけても知らん顔をする人のことです。イエス様はこのような人を救うために来られたので、利己的なすべての人にも望みがあります。

祈り:主よ!世の欲望と利己心によって病んだこの罪人を受け入れ、祝福してくださるので、大胆に主の御前に出て行きます。

一言:利己心に病んだ者の牧者イエス様



2007年 05月 16日 (水)

ルカ19:11-27
ほんの小さな事にも忠実な者

Ⅰ.預かった一ミナに忠実な者たち(11-19)
 主人は十人のしもべたちにそれぞれ一ミナを預け、王位を受けに行きました。そして、王位を受けて戻って来てからしもべたちと決算をしました。最初のしもべと二番目のしもべは、それぞれ十ミナ、五ミナを残したので、主人は彼らに「あなたはほんの小さな事にも忠実だったから」と言いました。彼らは一ミナが少ないと不平をこぼしませんでした。多くのお金を持ったほかの家のしもべをうらやましく思い、お金と時間を無駄にしませんでした。一ミナを受け取ってそれで熱心に働いて、実を結びました。人生を成功させる秘訣は、神様が今くださったその生活を受け入れ、熱心に生きることです。旧約のルツは熱心に麦の落ち穂を拾うことで、結局ダビデの祖母になる祝福を得るようになりました(ルツ2:2,3)。
Ⅱ.一ミナをふろしきに包んだ悪いしもべ(20-27)
 一方、三番目のしもべは一ミナをそっとふろしきに包んでしまっておきましたが、彼はその一ミナさえも奪われました(26)。彼は一ミナを軽んじ、それでは何もできないと考えました。彼の心は不平と不満で満ちていました。多くのものを持った人をうらやましく思い、嫉妬しました。そのような態度が一番良くないことです。一ミナに感謝し、熱心に働かなければなりません。

祈り:主よ!私に与えられた一ミナを貴く思い、熱心に生きます。それまでの不平と不満を悔い改めます。

一言:一ミナで熱心に働こう



2007年 05月 17日 (木)

ルカ19:28-40
イエス様のエルサレム入城

Ⅰ.平和の王(23-35)
 イエス様は王として入城されます。王として入城されるためにはろばが必要でしたが、イエス様にはろばがありませんでした。しかし神様がすでに準備されたものを、「主がお入用なのです。」と言って引いて来させました。神様は私たちに必要なすべてのものを準備して置かれました。
 イエス様は天地をお造りになった創造主であり、信仰の主です。しかしイエス様はみすぼらしいろばに乗って、エルサレムに入城されます。イエス様は限りなく謙遜な方です。人々を治めますが、愛と平和と義で治める平和の王です。
Ⅱ.栄光の王(36-40)
 イエス様がエルサレムに入城されるのを見て、弟子たちは上着を脱いで道に敷きました。群衆は自分たちが見た力ある働きによって喜び、大声で神様を賛美しました。「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」(38)。
 イエス様は約束されたメシヤ王国の王であり、いと高き神様の御座に座っておられた栄光の王です。イエス様は私たちの罪のために十字架で死なれ、死者の中からよみがえられることで、王の王となられました。イエス様は賛美を受けるのにふさわしい方です。

祈り:主よ!王である主の御名を賛美します。私の心の中に入って来られ、愛と平和で治めてください。

一言:私たちの王イエス・キリスト



2007年 05月 18日 (金)

ルカ19:41-48
心を痛められるイエス様

Ⅰ.平和の福音を知らないエルサレム(41-44)
 彼らが平和の福音を知らなかったために、イエス様は最も心を痛められました。彼らは心に本当の平和がなく、いつも不安でした。少しでも不安がないと、不安がないことに不安を感じました。また彼らは神様と和解できず、葛藤と争いが絶えませんでした。平和の働きのために神様がみずから来られましたが、人々はそれを知りませんでした。平和の福音を知らないまま、葛藤と寂しさの中で孤立した人々を考えると、イエス様は心を痛め、涙を流されました。彼らが受けるようになる刑罰(43,44)を考えると、心がひどく痛みました。
Ⅱ.利己的、貪欲のかたまりになった宮(45-48)
 宮は神様がおられる所です。エルサレムの人々は神様を誰よりも愛し、仕えなければなりませんでした。ところが人々は利己的、貪欲のかたまりになり、宮を強盗の巣にしてしまいました。そのような宮は将来石の上に一つも石が残らず、みな崩れてしまいます。それを考える時、イエス様はひどく心を痛め、憤られました。イエス様は心を痛め、涙を流されました。今日の人々の心と思いは利己心と貪欲に支配されています。この世代に向かって、イエス様は涙を流しておられます。

祈り:主よ!今日のキャンパスの学生たちが平和の福音を知り、神様と和解して、心の平和を得るようにしてください。

一言:平和の福音を知ろう!


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