聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2019]

2019年 12月 16日 (月)

ルカの福音書5:1-11(7)
両方の舟いっぱいに上げた

 群衆がイエス様に押し迫るようにして神のことばを聞いていました。イエス様は岸べに小舟が二そうあるのをご覧になりました。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていたので、舟は魚でいっぱいになっているはずでした。ところが、舟の中には何もありませんでした。イエス様は空っぽの舟に乗りました。その舟はシモンの持ち舟でした。イエス様はすわって、舟から群衆を教えられました。空っぽの舟の上から神のことばが語られました。話が終わると、イエス様はシモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われました。もしシモンの舟が魚でいっぱいになっていたら、シモンは神のことばを聞くことができなかったでしょう。ところが、彼の舟は空っぽになっていたため、神のことばを聞くことができました。そして、彼は、「夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう」と嘆息と期待を持ってイエス様の御言葉に聞き従いました。
 私の心と状況も、今、空っぽの舟のようであるかも知れません。しかし、私たちは空っぽになった時、イエス様を受け入れることができます。イエス様に求めることができるだけでなく、主の御言葉を聞くこともできます。そんな時、イエス様は私たちをいっぱいにして満たして下さいます。シモンがイエス様のお言葉通りに網を下ろすと、イエス様が、魚を両方の舟いっぱいに上げるようにしてくださいました。シモンの舟だけでなく、他の舟も魚でいっぱいにしてくださいました。船が沈みそうになるほど満たしてくださいました。ペテロは自分では一艘の舟さえ満たすこともできませんでしたが、イエス様は二艘ともいっぱいにしてくださいました。すると、彼らは、何もかも捨てて、イエス様に従いました。


適用:何によって空っぽの舟を満たそうとしていますか

一言:両方の舟をいっぱいにされるイエス様



2019年 12月 17日 (火)

ルカの福音書5:12-16(13)
わたしの心だ

 全身ツァラアトの人には切なる願いがありました。彼はイエス様を見ると、ひれ伏してお願いしました。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」彼はきよくなることを願いました。しかし、醜くなった自分の体と人々の排斥と律法による定めのために、イエス様に近づくことが難しかったと思います。彼は、イエス様が自分の願いを聞いてくれるはずだという確信も持ちにくかったと思われます。ところが、イエス様は手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われました。イエス様はツァラアトの人がきよくなることを願われました。人々は彼に石を投げましたが、イエス様は彼に手を伸ばされました。人々は彼に背を向けましたが、イエス様は彼にさわって下さいました。彼のきよくなりたい願い以上にイエス様のほうが、彼がきよくなることを願われていたのでしょう。イエス様は、「きよくなれ」と言われました。すると、すぐに、そのツァラアトが消えました。
 罪はツァラアトのように人を汚します。人の心を汚します。人格を汚します。生活を汚します。しかし、イエス様は汚れた私たちがきよくなることを願われます。汚れた者に背を向けず、手を伸ばしてくださいます。愛してくださいます。力あるわざを行われます。イエス様は彼に「祭司のところに行って、自分を見せなさい。そして人々へのあかしのため、モーセが命じたように、あなたのきよめの供え物をしなさい。」と命じられました。多くの人の群れが、イエス様の話を聞きに、また、病気を直してもらいと集まって来ました。しかし、イエス様ご自身は、よく荒野に退いて祈っておられました。祈りは力の源です。


適用:汚れていますか

一言:わたしの心だ。きよくなれ



2019年 12月 18日 (水)

ルカの福音書5:17-26(24)
地上で罪を赦す権威

 ある日のこと、イエス様が教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていました。彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから来ていました。それほど多くの宗教指導者たちが来ていたにもかかわらず、彼らによる力あるわざは行われませんでした。イエス様は、主の御力をもって、病気を直しておられました。するとそこに、中風をわずらっている人を、男たちが床のままで運んで来て、イエス様の前に置こうとしました。ところが、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つかりませんでした。しかし、彼らはあきらめず、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床をイエス様の前につり降ろしました。彼らの行動は無礼に見えますが、彼らはイエス様の力を信じて行動しました。イエス様も彼らの信仰を見て、「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われました。ところが、律法学者、パリサイ人たちは、「神のほかに、だれが罪を赦すことができよう」と理屈を言い始めました。その理屈を見抜いておられたイエス様は、「『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか」と言われました。人にはできない二つのことを言われたイエス様は、中風の人に命じて起きて歩かせました。その理由は何でしょうか。イエス様はその理由を、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために」と言われました。神様が人となってこの世に来られました。イエス様は罪を赦す権威を持っておられます。


適用:地上で誰が罪を赦すことができますか

一言:罪を赦す権威を持っておられるイエス様



2019年 12月 19日 (木)

ルカの福音書5:27-32(32)
罪人を招くために来られたイエス様

 宗教指導者たちが集まっていた家から出て行ったイエス様は、レビという取税人に目を留めました。レビはどこにすわっていましたか。収税所にすわっていました。収税所で仕事していました。当時の取税人は決められた税金以上を取り立てていたので、人々から嫌われていました。ところが、イエス様は「わたしについて来なさい」と言われました。するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエス様に従いました。イエス様に従った彼は、どのように変わりましたか。レビは、自分の家でイエス様のために大盤振る舞いしました。彼のすわっているところが変わりました。一人寂しく過ごしていた彼の家で取税人たちや、ほかにも大ぜいの人たちが食卓についていました。何よりもそこにイエス様がすわっておられました。すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエス様の弟子たちに向かって、つぶやいて言いました。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。」そこで、イエス様は答えて言われました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」イエス様は罪人を招くために来られました。


適用:どこにすわっていますか

一言:イエス様がおられるところ



2019年 12月 20日 (金)

ルカの福音書5:33-39(35)
花婿が取り去られたら

 イエス様が、「正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来た」と言われた後でした。宗教指導者たちはイエス様に、ヨハネの弟子たちとパリサイ人の弟子たちは、よく断食や祈りをしているのに、「あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています」と言いました。イエス様は、弟子たちは花婿に付き添う友だちのようだと言われました。花婿が来て結婚式のパーティーが行われているのなら、食べたり飲んだりして楽しむことは当たり前です。しかし、弟子たちに花婿が取り去られる時が来ます。その日には彼らは断食します。その日はどのように来るでしょうか。一般的に新しい着物から布切れを裂いて、古い着物に継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、その新しい着物を裂くことになるし、また新しいのを引き裂いた継ぎ切れも、古い物には合わないからです。また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れることが当たり前です。イエス様は新しい着物と同じですから、古いこの世と合わないのです。しかし、この世に来られました。イエス様は新しいぶどう酒であるため、古い皮袋に入れることができませんが、この世に来られました。結局、皮袋は張り裂け、イエス様はぶどう酒のように流れ出ました。その日、弟子たちは断食します。


適用:古いものが好きですか

一言:古い皮袋はイエス様を流れ出してしまう


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