聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2020]

2020年 02月 24日 (月)

ルカの福音書8:1-15(15)
良い地

 イエス様は町々を巡り、神の国を説いていると、おおぜいの人の群れが集まり、方々の町からも人々がみもとにやって来ました。イエス様はたとえを用いて話されました。種を蒔く人が種を蒔くと、ある種は道端に落ち、空の鳥が食べてしまい、別の種は岩の上に落ち、生え出たが、水分がなく枯れてしまいました。また、別の種はいばらの真ん中に落ち、いばらといっしょに生え出て、それを押しふさいでしまいました。また別の種は良い地に落ち、百倍の実を結びました。
 このたとえで種は、神のことばです。また四つの土地は、御言葉を聞く人のことです。みことばは良い地に落ちれば、百倍の実を結びます。しかし、道端のような堅い心、岩地のように根を下ろせない心、いばらの地のようにいばらが芽を奪う心であれば、伝えられたみことばは決して実を結ぶことはありません。
 イエス様が話された四つの土地の中で実を結んだのは良い地のみです。実を結ぶ良い地とは、正しい、良い心でみことばを聞き、しっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせる人のことです。良い地の人はみことばを聞きながら、みことばの意味を考え、御言葉を悟れるように努力します。みことばを聞いた後は、それを心に大切に刻みます。このような正しく、良い心でみことばを聞き、守るとき、みことばは必ず実をならせます。
 みことばを種としているのは、イエス様のみことばを私たちがどのような姿勢で聞くかで、百倍の実を結ぶ可能性があることを教えてくれます。人生の中で百倍の実を結ぶことは驚くような祝福ではないでしょうか。この祝福は、ただみことばを聞く心がけにかかっているのです。みことばを大切にし、耐えれば、みことば自体の力が働き、私たちの中に実を結びます。


適用:百倍の実を結びたいと思いますか

一言:みことばを聞いて、守りましょう



2020年 02月 25日 (火)

ルカの福音書8:16-21(21)
イエス様の家族

 あかりをつけるのは暗いところを明るくさせるためです。ですからあかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりせず、燭台の上に置きます。家に入って来る人々に、その光が見えるためです。あかりのもとですべてがあらわになります。ですからイエス様は聞き方に注意しなさいと言われます。みことばを注意してじっくりと聞く人は、さらに与えられ、そうでない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。
 みことばを注意して聞くと何が与えられるのでしょうか。神の国に対する真理を悟ります。神の国の恵みと祝福を受けます。それだけでなく、イエス様の家族になる特権も受けます。イエス様が教えておられるところに、イエス様の母と兄弟たちが来ました。しかし、群衆のためにそばに近寄れませんでした。それでイエス様に、あなたのお母さんと兄弟たちが、あなたに会おうとして、外に立っているという知らせを告げました。これにイエス様は、神のことばを聞いて行う人が母であり、兄弟であると答えられました。イエス様のみことばを聞いて行う人は、イエス様の家族だということです。そして神の国を相続する者となるのです。このイエス様の家族になる特権は、血筋ではありません。みことばを聞く姿勢によるものです。注意して神のみことばを聞く人は、みことばとおりに歩もうと努力します。そのような人こそこの世だけではなく、神の国においてもイエス様の家族となる特権を受けるのです。


適用:イエス様の家族ですか

一言:みことばを聞いて行いましょう



2020年 02月 26日 (水)

ルカの福音書8:22-25(25)
あなたがたの信仰はどこにあるのですか

 イエス様は、湖の向こう岸へ渡ろうと弟子たちに言われました。イエス様と弟子たちが舟に乗り美しいガリラヤ湖を渡っている間に、イエス様はぐっすり眠りはじめられました。ところが突風が湖に吹きおろして来ました。突風はイエス様と弟子たちの乗った舟を今にも沈めそうな勢いでした。荒れ狂う突風と舟に被った水を見て弟子たちは死の恐怖に取りつかれました。弟子たちはイエス様を起こして言いました。「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」(24a)弟子が悲鳴をあげ、起こされたイエス様は起き上がり、風と荒波を叱りつけられました。するとさっきまで恐ろしいまでに舟をのみ込もうとしていた風や荒波がうそのように静まり、凪になりました。イエス様は突風を静められると弟子たちにこう言われました。「あなたがたの信仰はどこにあるのです」(25)イエス様が弟子たちに信仰を尋ねられたのは、それまであった信仰が今なくなっている状態を示しています。弟子たちは突風のせいで信仰を失ってしまいました。しかし、風と荒波を叱りつけられるイエス様から、新たに信仰を持ちなおせました。弟子たちはイエス様が先生であるだけでなく、風と荒波も治める方であることを信じたのです。
 突風は私たちの信仰を失わせもします。突風は私たちをおそれに巻き込むこともあります。しかし、イエス様と共にする航海は決して死で終わることはありません。むしろ、風と荒波を叱りつけ、静められたイエス様を体験する機会です。突風の前で自分自身の弱さを知り、謙遜にイエス様に頼る信仰を学ぶことができるのです。


適用:突風を恐れていないでしょうか

一言:イエス様を仰ぎ見ましょう



2020年 02月 27日 (木)

ルカの福音書8:26-39(39)
どんなに大きなことをされたか話しなさい

 イエス様がゲラサ人の地に着いたとき、ひとりの悪霊につかれた人に会いました。彼はイエス様を見るや、叫び声をあげ、御前にひれ伏しました。これは助けを求める心の現れです。しかし同時に、自分を苦しめないでほしいと反発もしていました。なぜこのように分裂しているのでしょうか。それは、イエス様がすでにこの男の中にいる汚れた霊に、この人から出て行くよう命じられたからでした。人々は彼がなぜ反抗的で、立てつき、反社会的であるのかを理解できませんでした。鎖と足かせでつなぎ留めておくことだけしかできませんでした。しかし、イエス様は彼の問題を正確に洞察され尋ねられたのです。「何という名か」彼の中に宿っている闇の勢力を光の下にさらけ出し、真の名前を見つけ出そうとされました。彼は、大ぜいだと答えました。彼の中に汚れた霊が大ぜいいて、彼を操り、破滅させていたのです。
 悪霊どもはイエス様の力に屈し、出て行く代わりに豚に入ることを願いました。イエス様が許されると、悪霊どもは豚に入り、豚の群れはいきなり崖を下って湖に入り、おぼれで死んでしまいました。悪霊の去った男は着物を着て、正気に返って、イエス様の前に座っていました。本当の自分の名前を取り戻したのです。一方で、町の人々はこれでは養豚産業が立ち行かなくなることを恐れて、イエス様に離れてほしいと願いました。彼らは物質的な利益に目がおぼれ、メシヤを排斥してしまいました。悪霊が去ったその人は、イエス様のお供をしたいとしきりに願いましたが、イエス様は彼をゲラサのみわざに用いるよう派遣されました。神様があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、神の救いの恵みを話して聞かせるように命じられました。


適用:神様があなたにどんなに大きなことをされましたか

一言:話して聞かせなさい



2020年 02月 28日 (金)

ルカの福音書8:40-48(44)
着物のふさに触れ

 イエス様が帰って来られると、会堂管理者のヤイロがイエス様の足もとにひれ伏して、自分の家に来ていただきたいと懇願しました。彼の十二歳ぐらいの一人娘が死にかけていたためでした。それでイエス様が出かけられると、群衆は押し迫ってついて来ました。その群衆の中に、十二年の間、長血をわずらい、だれにも直してもらえなかった女がいました。律法では長血のわずらいは汚れた病とみなされ、疾患者が触れるものすべてが汚れると思われていました。女は誰とも会えず、寂しさと孤独の中で生きるばかりでした。命ともいうべき血が常に体外に出ているため力もありませんでした。女はあらゆる困難を乗り越え、イエス様の着物のふさに触れたのです。彼女の行動は、イエス様の着物のふさに触れさえすれば病も直るという信仰に基づいていました。果たしてその通り、女が着物のふさに触れるや、たちどころに出血が止まったのです。
 イエス様は自分から力が出て行くのを感じ、足を止めて、触った人を探し始めました。女は震えながら進み出て、すべての民の前でいやされた次第を話しました。イエス様は憐れみを込め、「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と女の信仰を祝福されました。もし彼女に信仰がなければ、自身を悲観的に思い、暗い気持ちのまま、死をいつか迎えていたかもしれません。しかし、彼女は信仰によって障害を乗り越え、信仰によってイエス様の着物のふさに触れたのです。信仰は死者をほうふつさせたようなこの女をよみがえらせ、新しいいのちを与え、美しい女性として生まれ変わらせました。信仰は、主の能力と恵みと祝福を重ね合わせてゆく道です。そして、イエス様は彼女にまことの平安を与えてくださいました。


適用:信仰によって着物のふさにさわりますか

一言:たちどころに止まった



2020年 02月 29日 (土)

ルカの福音書8:49-56(50)
恐れないで、ただ信じなさい

 イエス様が長血の女と話しておられた時でした。ヤイロの胸中は暗くなっていました。そんな時、会堂管理者の家から人がきて悲報を告げたのです。「あなたのお嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」その瞬間、ヤイロの目の前は真っ暗になり、恐れに苛まれました。今まで信仰によってイエス様について行きましたが、すべてが終わったと絶望感が押し寄せてきたのです。信仰は恐れや絶望に打ち勝つ堤防のようなものです。しかし、信仰の堤防が崩れてしまえば、恐れと絶望が押し寄せてきます。ヤイロはもはやその場所から一歩も動き出すこともできませんでした。しかし、イエス様は彼に信仰を与えられます。「恐れないで、ただ信じなさい」と。たとえ状況が悪化していたとしても、今まで守ってきた信仰を変えることなく保ち続けるよう、励まされたのでした。そうすれば、娘は助かると約束されたのです。
 ヤイロは信仰によって、力と勇気を出し、イエス様を連れて家に向かい始めました。家につくと、人々はみな、娘のために泣き悲しんでいました。イエス様は、泣かなくてもよい、死んだのではなく、眠っているのだと語られました。人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエス様をあざ笑いました。しかし、イエス様は娘の部屋に入り、手を取って、まるで寝ている子を起こすように言われたのです。「子どもよ。起きなさい。」すると、娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がりました。イエス様は死んだ娘を生き返らせました。イエス様は死んだものを生き返らせるよみがえりといのちの主です。イエス様にあっては、死んだ者もよみがえるのです。


適用:状況が悪くなると恐れますか

一言:ただ信じなさい



2020年 03月 01日 (日)

ルカの福音書8:49-56(50)
 恐れないで、ただ信じなさい

 ヤイロはこのイエス様の御言葉によって、信仰を取り戻し、力と勇気を再び出して起き上がりました。そしてイエス様と一緒に家に向かいました。イエス様はその家に入られましたが、人々はみな、娘のために泣き悲しんでいました。しかし、イエス様はこう言われました。「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」人々は娘が死んだことを知っていたので、イエス様をあざ笑いました。しかしイエス様は、娘の手を取って、叫んで言われました。「子どもよ。起きなさい。」すると、娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がりました。イエス様は死んだ娘を生き返らせました。イエス様は死んだ者をも起き上がらせる復活といのちの主です。このイエス様のうちにとどまる時、死んだ者たちが生き返ります。

適用:状況が悪化してしまい、恐れていますか

一言:ただ信じなさい


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