聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2020]

2020年 07月 01日 (水)

ルカの福音書 15:1-10(4)
 なくした一匹を見つけるまで

 パリサイ人と律法学者たちは、イエス様が取税人を受け入れて、一緒に食事をしていることに文句を言いました。そこでイエス様は、羊百匹を持っていても、そのうちの一匹をなくしたら、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうかと反論しました。また、見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ、友だちや近所の人たちを呼び集め、宴会を開くものだとも言われました。一人の失われたたましいへの牧者の心は打算的なものではありません。罪人の一人が悔い改めると、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、もっと大きな喜びが天にあるのです。また、ドラクマ銀貨を十枚持っている女の人が、その一枚をなくしたとしましょう。ドラクマ銀貨1枚は現在の価値で1万円ほどです。その女の人は明かりをつけて、見つけるまで注意深く捜すでしょう。そして、見つけたら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『一緒に喜んでください。なくしたドラクマ銀貨を見つけましたから』と言うでしょう。
 一人の罪人が悔い改めることは、神様にとって大きな喜びとなります。パリサイ人と律法学者たちは罪人たちの悲しみと苦しみを知りませんでした。また失われたたましいへの神様の切なる御心を知りませんでした。パリサイ人と律法学者たちは罪人としての自分の姿を見つけるべきでした。そして罪人たちへの神様の御心を知るべきでした。私たちは神様の御心をもって、失われたたましいを見つけるまで捜し歩く牧者の生き方をすべきです。


適用:失われたたましいへの牧者の心とは

一言:見つけるまで捜し歩く者



2020年 07月 02日 (木)

ルカの福音書 15:11-32(20)
 まだ家までは遠かったのに

 弟息子が父親に、相続財産の分け前を要求しました。それから何日もしないうちに、弟息子はすべてのものをまとめて遠い国に旅立ちました。そこで父からもらった財産を湯水のように使い果たしてしまった彼は、豚の世話をし、豚が食べているいなご豆で腹を満たすしかないほどになりました。ある日、彼は豚のそばで我に返って、父のところには雇い人が大勢いることを思い出しました。父のところに戻れば、飢え死にしなくてすむだろうと考えました。それで、父のところに行こうと決心し、父の家に向かいました。父に対して酷いことをしてしまった自分を、果たして受け入れてもらえるだろうかと、疑心と恐れが途中で生じたかもしれません。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、何度も口づけしました。弟息子は、そんな父親の温かい出迎えに、悔い改めの言葉を素直に伝えることができました。父親は、彼に一番良い衣を着させ、手に指輪をはめ、足にはきものを履かせ、肥えた子牛を屠り、祝いました。
 畑から帰って来た兄息子は怒って、家に入ろうともしませんでした。真面目に忠実に働いてきた自分を差し置いて、弟を罰することもなく迎え入れた父親に対して不満を言いました。そんな彼に父は、私のものは全部おまえのものだとなだめながら、いなくなっていた弟息子への父親の心を教えました。兄息子は、自分には息子としての資格があっても、弟には資格はないはずだ、と思っていました。一緒に住んでいても、父親の心を理解していませんでした。父は、弟息子が戻ってくるのをずっと待っていました。彼を見つけるやいなや、彼をかわいそうに思い、彼のところに駆け寄りました。父親は息子を決して忘れることなく、諦めず、待っています。資格のない者を待ってくださり、迎えてくださる神様に感謝します。


適用:あまりにも遠いところまで離れてしまったと思いますか

一言:立ち上がって、父のもとへ向かいましょう


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