聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2020]

2020年 07月 08日 (水)

ルカの福音書 18:1-8(8)
 速やかにさばきを行ってくださいます

 イエス様はいつでも祈るべきで、失望してはいけないことを、たとえを通して教えられました。ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいました。また、その町には自分を訴える人を裁いてもらいたい一人のやもめがいました。彼女はその訴えを裁いてもらわないと、到底食べることも、寝ることもできませんでした。そこで、不正な裁判官ではあるものの、裁くことのできる権限のある人にひっきりなしに裁いてくださいと叫び求め続けました。しかし、うわさ通り、その裁判官は貧しいやもめのお願いにはぜんぜん取り合ってくれませんでした。裁判官の無関心と冷たい態度にも関わらず、やもめは時と場所を選ばず、ひっきりなしに求めました。そんなある日、裁判官はやもめのための裁判をしてやりました。なぜでしょうか。それは、やもめがひっきりなしにやって来ては、うるさくて仕方がないほど「私を守ってください」と言ったからでした。裁判官は、このやもめの訴えを聞いてやらないなら、自分が疲れ果ててしまうと思いました。やもめのしつこさに、不正な裁判官は音を上げてしまいました。
 裁判官とやもめは他人同士ですが、神様と私たちは父と子という特別な関係です。裁判官は不正な人ですが、神様は義と愛に満ちておられる方です。この神様が、昼も夜も叫び求めている、選ばれた私たちのために、さばきを行わないで、いつまでも放っておかれることがあるでしょうか。神様は速やかにさばきを行ってくださいます。イエス様は人の子が来るとき、「はたして地上に信仰が見られるでしょうか」と言われました。終末の時が近づくほど祈る信仰の人を見つけることはなかなか難しいことです。イエス様は私たちがどんな状況の中でも失望せず、祈る信仰の人になることを切に願っておられます。


適用:ひっきりなしに、昼も夜も叫び求めていますか

一言:速やかに行ってくださいます



2020年 07月 09日 (木)

ルカの福音書 18:9-17(14)
 あのパリサイ人ではなく、この人が義と認められる

 イエス様は、自分は正しいと確信していて他の人々を見下している人たちにたとえを話されました。パリサイ人と取税人が祈るために宮に上って行きました。パリサイ人は自分が他の人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、またこの取税人のようでないことに感謝しました。そして、週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから十分の一を献げていることを誇りました。彼は自分が他の人たちと違うことへの優越感と自己義にとらわれていました。
 一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたきながら祈りました。『神様、罪人の私をあわれんでください。』神様はこの二人のうち、パリサイ人ではなく取税人の方を義と認めました。取税人であっても多くの罪を犯したとしても、自分を低くし、悔い改めたとき、神様は彼を義と認めて高くされました。神様は自ら自分のことを高くする高慢と自己義の人を喜ばれません。神様の御前ではだれもが罪人です。罪人であることを認め、自分の胸を叩き、悔い改めるとき、神様はその人を喜ばれ、義と認められます。
 人々がイエス様に触れて頂こうと、幼子たちまで連れてきました。ところが、弟子たちはそれを見て叱りました。しかし、イエス様は幼子たちを呼び寄せました。「神の国はこのような者たちのものなのです。」(16)と言われました。誰でも幼子たちのように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。幼子のように素直で謙遜な心で神の国を受け入れる時、恵みと祝福を受けることができます。


適用:自分を低くしますか

一言:高くされます



2020年 07月 10日 (金)

ルカの福音書 18:18-30(27)
 神にはできるのです

 ある指導者がイエス様に、何をしたら永遠のいのちを受け継ぐことができるかを質問しました。そこでイエス様は戒めについて言われました。彼は少年のころからそれらすべてを守ってきたと自信たっぷりに答えました。しかし、イエス様は彼にはまだ一つ、欠けていることがあると言われました。そして彼が持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに分けてやるように命じられました。そうすれば、天に宝を持つことになると約束してくださいました。そのうえで、「わたしに従って来なさい」という方向を与えました。彼は少年のころから戒めをすべて守って来たと言う自負心がありましたが、それは外見上の従順にすぎませんでした。彼は形式的な信仰生活は送っていましたが、内面は所有欲や貪欲でいっぱいでした。これらこそが、永遠のいのちを受け継ぐことを塞いでいたのです。彼は大変な金持ちだったので、イエス様の御言葉を聞いて非常に悲しみました。
 イエス様は彼が非常に悲しんだのを見て、「富を持つ者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しい」と言われました。それを聞いた人々は、それでは誰が救われることができるでしょうと言いました。これは彼らの心の中にも金持ちになりたいと思う心があったからでした。イエス様が言われたことから、人が救われることは決して易しいことではないように見えます。しかし、イエス様は、「人にはできないことが、神にはできる」(27)と言われました。大変な金持ちが貪欲と執着を悔い改め、天の御国に望みをかけ、誰よりも神の国のために働くようになることは、不可能に近いと思われますが、神にはできるのです。人そのものを見ると希望が見えませんが、神様を見上げるとき、どんな人にも望みがあります。神様が自ら救いの御わざを成しておられます。


適用:人の救いについて否定的な考えですか

一言:神様にはできるのです



2020年 07月 11日 (土)

ルカの福音書 18:31-43(42)
 あなたの信仰があなたを救いました

 イエス様がエルサレムに上って行きますと、人の子について、預言者たちを通して書き記されているすべてのことが実現します。人の子は異邦人に引き渡され、彼らに嘲られ、辱められ、唾をかけられ、鞭で打たれて殺されます。しかし、三日目によみがえられます。イエス様は十二弟子たちに、ご自分がエルサレムで受けることについて教えられましたが、彼らはイエス様が話されたことを何一つ理解できませんでした。これは彼らがこの世に望みをかけていたからで、その御言葉の奥義が隠されていたからでした。
 イエス様がエリコに近づいたとき、一人の目の見えない人が物乞いをしていました。彼はナザレ人イエスがお通りになると知らされました。彼は切なる心で「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください。」と叫びました。先を行く人たちが黙らせようとたしなめましたが、彼はますます激しく叫びました。イエス様はこの叫びをお聞きになり、立ち止まって、彼を連れて来るように命じられました。彼が近くに来ると、イエス様は「わたしに何をしてほしいのですか。」とお尋ねになりました。それは彼にまことの信仰があるのかどうかを調べるためでした。彼は答えました。「主よ、目が見えるようにしてください。」彼にはイエス様がメシヤであるという信仰がありました。彼は具体的に、またはっきりとした祈りをしました。主の御前で祈る時、何のための祈りなのかがはっきりしない時もあります。はっきりとした祈りをするためには信仰が必要です。イエス様は「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救いました。」と彼の信仰を祝福してくださいました。信仰は主の祝福を頂く通路です。


適用:イエス様に何をしてほしいですか

一言:目が見えるようにしてください


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