聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2020]

2020年 07月 16日 (木)

ルカの福音書20:1-18(16)
やって来て農夫たちを殺し

 宗教指導者たちと長老たちは、サンヘドリン議会や神殿を管理する大祭司の許可なしに神殿で教えるイエス様に対し、不満でした。彼らはイエス様が何の権威によってこれらのことをしているのか、またその権威を授けたのはだれなのかと言いました。このような彼らに、イエス様は、バプテスマのヨハネが誰の権威で活動していたのかと尋ねました。民がヨハネを預言者として認めたということは、彼にたとえ世の権威はなくても、神様から与えられた権威があったことを示しています。イエス様も同様です。民の間で起こった驚くべきことは、イエス様の権威がどこから来たのかを知らせてくれます。イエス様は神様が与えられた正当な権威を持って働かれた権威者なのです。
 事実、このような権威を持っていなかったのは、宗教指導者たちと長老たちでした。ぶどう園の農夫のたとえを通してこれを証明することが出来ます。ある人がぶどう園を造って農夫たちに貸して、外国に出かけました。ぶどう園を農夫たちが管理しますが、彼らはぶどう園の主人ではありません。後で税を納めさせようと主人がしもべを遣わしましたが、農夫たちは、これを拒んでしもべを打ちたたき、追い出しました。彼らは正当な権利によって行う主人に敵対しました。主人は、彼らの悪事を我慢して自分の全権を委任した息子を遣わしました。ところが、彼らは相続者である息子さえ殺してしまいました。このような彼らが殺され、ぶどう園が他の人たちに移るのは当然です。宗教指導者たちは、ぶどう園の農夫たちと同じです。彼らは、イスラエルというぶどう園を管理しながら主人である神様の権威を認めませんでした。主人の権威を携えて来られたイエス様を、将来殺すようにさえなります。このような彼らは、真の権威者から滅ぼされます。


適用:神様の息子の権威を認めなければ、どうなりますか

一言:滅びる



2020年 07月 17日 (金)

ルカの福音書20:19-26(25)
カエサルのもの、神のもの

 律法学者たちと大祭司たちは、たとえ話を聞いて悔い改めるのではなく、むしろイエス様を捕らえようとしました。彼らは機会を狙って回し者を送り、一つの質問を投げることで、イエス様の言葉尻を捕らえようとしました。彼らはまず、イエス様が人々の顔色を窺わず率直に教える真の先生だとお世辞を言いました。その上で税金の問題について真理に基づいて神の道を教えてほしいとお願いしました。彼らはロ-マ皇帝に税金を納めることについて、イエス様の意見を聞いて、税金を皇帝に捧げないようにとイエス様が発言したら、ロ-マに反逆する者として、ロ-マ総督に告発するつもりでした。
 イエス様は彼らのすべての悪巧みを見抜いておられました。イエス様は、カエサルの肖像と銘が刻まれているデナリ銀貨一つを見せ、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と言われました。この御言葉に、彼らは民の前でイエス様の言葉尻を捕らえることができず、その驚くべき御言葉の前に口を閉じ沈黙しました。カエサルのものはカエサルに返さなければなりません。カエサルのものとは、例えば納税や兵役の義務です。神様の民は、世の政府や上から立てられた権威に従うべきです(ロ-マ13:1,6,7)。しかし、神様のものはカエサルも侵害することはできません。神様のものは命をかけて、神様に捧げなければなりません。イエス様はソロモンよりも知恵があり、さとく判断できます。このイエス様のもとに伺い尋ねるなら、曖昧さはなくなり、明確な方向を掴むことができます。


適用:カエサルのものと神のものを持っていますか

一言:カエサルに、神に



2020年 07月 18日 (土)

ルカの福音書20:27-44(38)
生きている者の神

 サドカイ人は復活がないと主張しました。兄が妻を残して死に、弟がその兄の妻と結婚することを七回も繰り返した七人兄弟のケ-スを例にあげて、彼らは質問しました。「もし復活がある場合、その女はだれの妻になるか。」厄介な問題が生じるのではないかと指摘しました。イエス様は、彼らがこの世と復活後の次の世の違いを理解していないと指摘されました。この世には結婚関係が存在しますが、復活すると結婚関係はもはやありません。復活すると人はみ使いと同じ存在になりますが、み使いたちは結婚もせず、夫婦関係もありません。結婚しなくても、真の満足と喜びを味わいます。サドカイ人は宗教指導者でしたが、霊の存在を信じず、復活も信じず、人は死ぬと存在が消滅すると考えていました。しかし、イエス様は、彼らが信じているモ-セ五書の出エジプト記の御言葉(3:15)をとおして、復活をあかしされました。神様はモ-セに、ご自身をアブラハム、イサク、ヤコブの神であると紹介されましたが、これはモ-セの時代にも、アブラハムは生きていて、イサクも生きていて、ヤコブも生きているということを意味します。神様の中にあって、すべての死んだ者が生きています。人々は、キリストをただダビデの子としてしか認識していませんでした。しかし実際には、ダビデの主であるということを、「主は、私の主に言われた」(詩篇110:1)の御言葉に基づき、説明されました。


適用:死んだ者の神として知っていますか

一言:生きている者の神



2020年 07月 19日 (日)

ルカの福音書20:45-21:4(47)
より厳しい罰を受けるのです

 すべての民がイエス様の御言葉を聞こうと集まりました。この時、イエス様は弟子たちに言われました。長い衣を着て歩き回ることが好きで、広場であいさつされることや会堂の上席、宴会の上座を好む律法学者たちの悪い影響を受けないようにと言われました。彼らは表面上、敬虔なふりをしましたが、実際には、社会的弱者である未亡人の財産を搾取したりしました。その一方で人々には霊的に見せるために非常に長い祈りをしました。イエス様はこのような人たちは厳しい罰を受けるだろうと警告されました。
 イエス様は、金持ちが献金箱に献金を投げ入れているのを見ておられました。彼らはコインの音を響かせながら長く投げ入れました。しかし、やもめはわずか2レプタを心から投げ入れました。イエス様はこれを見て、貧しいやもめは、すべての人々、特に金持ちよりも多く入れたと言われました。他の人々はあり余る中から、人に見せるための物質を入れました。しかし、そのやもめは貧しい中でも、自分が持っている生活費全部を入れたからです。彼女はまるでツァレファテのやもめのように、自分の命を繋いでくれているもので神様に仕えました(Ⅰ列17:12-15)。主は、私たちの外見を見られません。私たちの内面を見られ、私たちの心を見られます。弟子たちは、外見を大事にし、敬虔なふりをする宗教指導者達たちのようにならないように注意する必要があります。もしそんなパン種に染まっているなら、今まさにそのような要素を切り捨て新たに生まれ変わった弟子生活をするべきです。


適用:人々の前で生きていますか

一言:厳しい罰


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