聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2023]

2023年 01月 21日 (土)

ルカの福音書1:1-25(6)
二人とも神の前に正しい人で

 ルカの福音書は、新約聖書の著者たちの中で唯一の異邦人である医者のルカが書きました。ルカは、イエス様に関する歴史的事実を初めから綿密に調べ、順序立てて書き上げました。読者に、福音信仰を植え付け、神のみこころは全人類を救うことである、ということを理解してもらうために書きました。彼はまず、イエス様の先駆者であるバプテスマのヨハネの誕生から記録しています。

 バプテスマのヨハネの両親はアビヤの組の祭司で、神様の前に正しい人で、主のすべての命令と掟を落度なく行っていました。ところが、彼らには子供がいませんでした。そのせいで気落ちしてふさぎ込んでしまってもおかしくない状況でした。しかし、ザカリヤとエリサベツは任された職務に忠実で、正しく生きました。主の時が来て、神様は、彼が主の神殿に入って香をたくくじに当たるようにし、偉大な息子を授かるようにしてくださいました。彼の息子は主の御前に大いなる者となり、多くの人々を主に立ち返らせます。旧約で遣わすと約束された預言者エリヤの霊と力をもって働きます。ザカリヤは、いざ息子を与えられると聞くと、信じられませんでした。すると、御使いはこれらのことが起こる日までは、言葉が話せなくなると伝えました。なぜなら、彼が主のことばを信じなかったからです。その後、妻エリサベツは身ごもりました。彼女は「主は今このようにして私に目を留め、人々の間から私の恥を取り除いてくださいました」と言い、五か月の間、安静にしていました。

 私たちは、主の御前に正しく生きているにもかかわらず、恥をかくことがあります。しかし、そんな時でも、ザカリヤとエリサベツのように、神様の御前に正しく生き、忠実に務めを果たさなければなりません。そうすれば、神様に尊く思われ、救いの御業に大きく用いられます。



祈り:どんな時でも神様の愛とご計画を信じて、御前で正しく生きることができるよう助けてください。

一言:主のすべての戒めとさだめを落度なく



2023年 01月 22日 (日)

ルカの福音書1:26-38(38)
あなたのおことばどおり、この身になりますように

マリアは、自分が神から恵みを受けたと聞いて、恐れ、悩みました。彼女は、神の与えてくださる恵みがどれほど美しいものであっても、その代償は非常に大きなものになるだろうと分かっていたに違いありません。マリアは、ただの素朴な田舎娘で、ヨセフという青年と婚約していました。ヨセフは質素に暮らす大工でしたが、彼には王家の血が流れていました。彼はダビデの子孫でした。マリアはこれからヨセフと一緒に築く平凡な温かい家族生活を楽しみにしていましたが、神様は彼女に対して別の使命を用意されていました。神様は、永遠の王国を支配する、約束された救い主イエスを、産み育てる母として彼女を選ばれたのです。

マリアは、自己犠牲が求められることに対しては、何もためらいませんでしたが、処女が身ごもることは、人間の理性に反する出来事なので、理解ができずにいました。しかし、神にとって不可能なことは何もありません。御使いは、エリサベツのことを彼女に話しました。マリアは、一人の人間としての夢をあきらめ、主のはしためとして、神様に用いられるままに従おうという信仰の決断をしました。



祈り:主よ、あなたの御心にかなった仕えと働きができるように助けてください。あなたに聞き従うことが、最善の生き方であることを教えて下さい。

一言:あなたのおことばどおり



2023年 01月 23日 (月)

ルカの福音書1:39-56(46)
私のたましいは主をあがめ

 御使いが去って行った後、マリアは親類のエリサベツを訪ねました。おそらく神様がエリサベツに成されたことを確かめたかったのでしょう。マリアを見た時、エリサベツは聖霊に満たされて、「あなたは女の中で最も祝福された方。」と大声をあげて言いました。そして、年下のマリアを「私の主の母」と呼び、マリアの訪問が自分にとって何と光栄なことであろうか、と感激しています。私たちは、他の人たちの中にある神様の働きを認め、彼らを祝福すべきです。

マリアはエリサベツに会って、自分がいかに神様に祝福された者であるか、再度思い起こすことができました。その時、心の奥底から主への賛美が溢れ出ました。「私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます…。」マリアは、救い主であるイエス様を産むために神様によって選ばれましたが、彼女は、イエス様のことを自分の救い主としても認識していました。神様が自分のような卑しいはしために目を留めてくださったので、自分は大いに祝福されたと思いました。全ては、神様による恵みでした。マリアはまた、歴史における自分の立場を、幸いな者として認識しました。彼女は、全能の主が自分のために大きなことをしてくださったのは、全て神様のあわれみと真実によると歌いました。全能の主は、私には、何をしてくれたでしょうか。



祈り:世の中では悔しい思いをしていても、神様が私に目を留めてくださっていることを信じます。主が私の人生にして下さったことを見て、その恵みの大きさに気づき、賛美できるように助けてください。

一言:低い者を高く引き上げ



2023年 01月 24日 (火)

ルカの福音書1:57-80(69)
救いの角を私たちのために

 ザカリヤが息子の名前をヨハネとつけると、彼の口は開け、舌も解け、ものが言えるようになりました。彼は口が開くやいなや、神様をほめたたえました。彼は自分に息子を下さった神様ではなく、御自分の民を顧みて贖いをなした神様をほめたたえました(68)。「顧みる」とは、訪ねて来られ、面倒を見てくださるという意味です。まるで泣いている子供の所へ親が来て面倒を見るのと同じです。また、「贖う」とは、代価を払って罪人や奴隷の身分からその人を自由にするという意味です。

ザカリヤはまた、イエス様を「救いの角」と呼んでいます(詩18:2)。イエス様はその角で敵サタンの角を打ち砕きます。イエス様の救いの力は、精神面、肉体面、感情面と、あらゆる方面に対して発揮され、過去、現在、未来の罪によって束縛されていた私たちを贖います。イエス様のこの大きな憐れみによって、私たちはすべての日において、恐れことなく主に仕えることができます。ザカリヤの息子ヨハネは、悔い改めを通して与えられる救いについて教えるようになります。主の救いは、まるで闇を突き破る曙の光のように優しく、あたたかで、平和を与えてくれます。



祈り:主よ、私が救いの角であるあなたに頼り、毎日、恐れることなくあなたに仕えることができるように助けてください。

一言:イエス様は私の救いの角


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