聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2023]

2023年 01月 25日 (水)

ルカの福音書2:1-7(7)
飼葉桶に寝かせられたイエス様

 イエス様がお生まれになったのは、ローマ帝国という超大国が世界を支配していた時代でした。その頃、皇帝アウグストゥスは全世界の住民登録の勅令を出しました。それで、人々はみな、それぞれ自分の町に向かって行きました。ガリラヤのナザレに住んでいたヨセフとマリアもダビデの子孫だったため、ユダヤのベツレヘムに向かいました。妊婦にとってベツレヘムまでの130キロの長旅は非常に危険でしたが、皇帝の勅令に逆らうことはできませんでした。ベツレヘムに着いた時、マリアは月が満ちて、家畜小屋の中で子を産み、飼葉桶に寝かせました。そこはとても非衛生的なところです。そんな所で出産しなければならなかったのは、「宿屋には場所がなかった」からです。イエス様は人々の喜びと期待に囲まれてではなく、人々から見捨てられるようにしてお生まれになりました。このように、イエス様の誕生は実に卑しいものでした。

 しかし、神様の側からこの出来事を見ると、イエス様の誕生はミカの預言の成就です(ミカ書5:2)。神様はマリアの出産が近くなると、皇帝アウグストゥスを動かし、ベツレヘムにマリアたちが行くように導かれたのです。神様が用意された救い主イエス様が生まれる場所も、宮殿ではなく家畜小屋の飼葉桶でした。神様の御子がこのように、この世の権力と栄華からかけ離れた低い場所でお生まれになった理由は何でしょうか。それは、人々から見捨てられたような、行き詰まりと不安を抱えているような、そんな低い場所で生きる人々に救いをもたらすためです。イエス様を受け入れるならば、私たちの心の内にイエス様が生まれてくださいます。いつまでも宿ってくださり、平安と救いと慰めと望みを与えて下さいます。



祈り:何の罪もないイエス様が罪人である私を救うために、低い場所でお生まれになったへりくだりは、どれほどでしょうか。いつも私の心の中に平安を与えてくださり感謝します。

一言:飼葉桶に寝かせられ



2023年 01月 26日 (木)

ルカの福音書2:8-20(12)
それが、あなたがたのためのしるしです

主の栄光に包まれた主の使いが、その地方の羊飼いたちに現れ、イエスさまの誕生を告げました。イエス様の誕生は、いつの時代の人々にとってもすばらしい喜びの知らせです。約束されたメシア、救い主、キリストが来られたからです。神様は、御子イエスを信じるすべての人に、罪からの救い、永遠の命、そして神の御国を与えたいと思われ、イエス様をこの世にお遣わしになりました。主の使いは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごこそが、救い主のしるしであると告げました。すると突然、天の軍勢による賛美が始まりました。イエス様が来られたことは、神にとっては栄光となり、神の恵みを受け入れる人々には、平和を意味します。イエス様は、他の誰もが与えることのできない、また誰も奪うことのできない喜びと平安をもたらします。

当時の羊飼いは、社会的に地位が低く、蔑まれていました。神様から見放された人たち、神様となんの関係もない人たちだと思われていました。しかし、主の使いがキリストの誕生の知らせを届けたのは、そんな社会の底辺にいた羊飼いたちでした。彼らは良い知らせを聞くと、何が起こったのかを実際に見届けようと出かけて行きました。飼い葉桶に赤ちゃんがいるのを見たとき、確かに神様のしるしであると認識し、神様の言葉を信じました。彼らは神様をあがめ、賛美しました。



祈り:主よ、私たちの間でなされるあなたのみわざの小さなしるしを、私が見ることが出来ますように。そして喜ぶことが出来るようにお助けください。

一言:救い主のしるし



2023年 01月 27日 (金)

ルカの福音書2:21-40(25)
イスラエルが慰められるのを

 エルサレムにシメオンという正しい、敬虔な人がいました。彼はイスラエルが慰められるのを待ち望んでいました。主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていたので、キリストを待ちわびていました。当時、ユダヤ人たちはローマからの独立と経済復興を待ち望んでいました。しかし、これらはイスラエルの真の慰めにはなれません。唯一、キリストが来られ、罪の赦しと救いが与えられる時にのみ、真の慰めが得られます。シメオンは聖霊に導かれて宮に入り、幼子イエス様に出会いました。彼は幼子イエス様を腕に抱き、神様をほめたたえました。「あなたが万民の前に備えられた救いを。異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」イエス様はユダヤ人だけの救い主ではなく、万民のための救い主として来られました。イエス様は異邦の世界を照らす光として来られました。イエス様は御民イスラエルの栄光であられます。

 一方で、イエス様によってイスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりします。イエス様は、反対にあうしるしとして定められています。現れた罪を認めず悔い改めない心の高ぶった人たちは、イエス様を拒み、憎みます。この人たちは倒れます。しかし、イエス様を受け入れ、悔い改める人たちは、立ち上がる恵みを受けます。



祈り:目に見える恵みを待ち望んでしまう自分を悔い改めます。イエス様を受け入れ、高慢になることがないようにお助けください。

一言:慰め



2023年 01月 28日 (土)

ルカの福音書2:41-52(49)
自分の父の家にいるのは当然であること

 イエス様が十二歳になられた時、過越の祭りのため両親と一緒にエルサレムに行きました。祭りの期間を過ごしてから帰る際、イエス様はエルサレムにとどまっておられましたが両親はそれに気づきませんでした。一日の道のりを進んでから、それに気づき、イエス様を捜しながらエルサレムまで引き返しました。三日後にようやく見つけることができました。イエス様は宮で教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしておられました。人々はイエス様の知恵と答えに驚きました。

 両親は心配して捜していたので少年イエス様に詰問すると、イエス様は両親に言われました。「どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。」少年イエス様は十二歳にして、自分は何者で、どこにいるべきかをよくご存じでした。ご自分は神様の御子であり、父なる神様の家にいるべきことを深く認識しておられました。確固たる自己認識のあるイエス様は、いかなる苦境の中でも揺るぎなく真理の道、使命の道を進んで行かれました。神様の御子でありながらもへりくだってヨセフとマリアの息子として親に従い、仕えました。ご自分を知り、神様を知るイエス様は、ますます知恵が進み、神様と人とに愛されました。



祈り:神様を信じる者として、私もイエス様のように神様をより知り、知恵を身につけ、どんな状況でも真理の道を歩んでいけるようお助けください。

一言:自分の父の家に


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