聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2023]

2023年 07月 17日 (月)

ルカの福音書12:1-12(5)
恐れなければならない方

 イエス様は弟子たちに、「パリサイ人のパン種、すなわち偽善には気をつけなさい。」と言われました。ここの「偽善」は、元々の原語では「演技する」という意味の言葉を使っています。人によく思われようと自分を偽って作りたてる、という意味です。パリサイ人は、さも信仰の人であるかのように見せながら、実は御言葉を聞かない生活をしていました。しかし、覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずにすむものはありません。ですから、彼らの偽善的な振る舞いは、いつかはそのすべてが世の光であるイエス様の前で現わされるようになるのです。

 偽善は、なぜ生じるのでしょうか。イエス様は、人に対する恐れが原因であるとされました(4)。弟子たちの心にも、恐れがありました。宗教指導者たちを恐れていました。私たちも、恐れて、権威ある人たちの顔色ばかりを窺う生き方をするなら、本来の自分でない嘘の自分を演じる偽善者となってしまいます。しかし、本当に恐れるべき方は、人をゲヘナに投げ込む権威を持っておられる神様だけです。神様を恐れるときに、初めて人に対する恐れを克服することができます。神様は弟子たちの髪の毛までも数えられるお方なのです。神様は弟子たちを大事に思われ、またいつも覚えておられます。どんな迫害の中でも、言うべきことはその時に、聖霊様が教えてくださるのです。神様を恐れ敬い、神様がいつも自分を覚えてくださっていることに気づいたときに、すべての恐れを乗り越えることができます。この神様の前で生きるとき、宗教指導者たちのように偽善に陥ることを避けることができるのです。



祈り:良い人に思われたくて偽善的に振る舞う自分がいることを認めます。私のすべてを知っておられる神様を恐れ、人を恐れることがないように助けてください。

一言:神様を恐れなさい



2023年 07月 18日 (火)

ルカの福音書12:13-21(15)
貪欲に警戒しなさい

 群衆の中の一人がイエス様に、自分と遺産を分けるように自分の兄弟に話をしてほしいとお願いしました。ところが、イエス様は「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」と答えられました。貪欲とは、正当でない欲望のことを指します。イエス様の御言葉に照らしてみると、その人は遺産のために心が貪欲に奪われていたようです。人々が貪欲に縛られるのは、財産をたくさん持てば長く幸せに暮らせると思うからです。しかし、イエス様はすべての貪欲を警戒するようにと言われました。なぜなら、人のいのちは、財産にあるのではないからです。貪欲は、人の心をみじめにしてしまうだけでなく、そのまま放っておくなら、人を奴隷にしてしまいます。

 イエス様はまた、貪欲なまま生きてゆく人が、どれほどの愚か者であるかを、たとえで話されました。ある金持ちがいました。彼は多くの財産があれば楽に生きられると思いました。しかし、神様は彼のたましいを、今夜、彼から取り去ると言われました。彼が愚かなのは、自分のいのちがいつどうなるかも分からないまま、自分のために蓄えたところにあります。自分のために蓄えても、神様の前で富まない者は、誰でもこの金持ちと同様です。私たちのいのちは、財産が多くあるところにあるのではなく、神様の前で富むところにあります。私たちの財貨を天の御国に積んでおいて、隣人に仕える生活をする時に、神様が与えてくださるいのちを豊かに味わうことができます。



祈り:この世の財産を多く積んでも、それを天国に持っていくことはできず、どんどん貪欲になるだけです。この世にではなく天国に積み、私たちに豊かないのちを与えてくださるよう祈ります。

一言:愚かな者よ



2023年 07月 19日 (水)

ルカの福音書12:22-34(31)
御国を求めなさい

 弟子たちは、何を食べようか、また何を着ようかと、いつも心配していました。食べるものが十分になく、当時は服も高く、生活してゆくことがやさしくありませんでした。しかも、仕事まで捨ててイエス様に従って来ていたので、弟子たちの心には心配が絶えませんでした。それで、イエス様は「心配したりするのはやめなさい。」と言われました。その理由は、彼らが鳥よりも草花よりもはるかに優れた存在だからです。神様は鳥を食べさせ、草花を着飾らせてくださるお方です。このような神様がおられるにもかかわらず、心配するのは、信仰が薄いからです。弟子たちが、信仰が薄くて心配ばかりするのは、衣食住の問題だけを考えるからです。神様がどんな方で、自分がどんな存在であるかを思い出すなら、信仰が強くなり、心配から抜け出すことができます。

 イエス様は弟子たちに、「むしろ、あなたがたは御国を求めなさい。」(31)と命令されました。そうすれば、これらのものは、それに加えて与えられると約束されました。ここで「御国」とは、神様の統治を指します。「求める」というのは、一生懸命に捜すことです。まるで宝物を探すかのように神様の統治を捜し、そして、神様の国を現す生活をしなさい、と言っているのです。神の国を一生懸命に捜し求める人は、心配にとらわれず、自分の必要を満たしてくださる神様を体験します。



祈り:心配は無意味であることを学びます。私たちが心配せずに神の国を求める時、私たちに必要なものを知っている神様は、その必要をすべて満たしてくださることを信じます。

一言:そうすればこれらのものは加えられます



2023年 07月 20日 (木)

ルカの福音書12:35-48(42)
忠実な賢い管理人

 イエス様は「腰に帯を締め、明かりをともしていなさい。主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸を開けようと、その帰りを待っている人たちのようでありなさい。」と言われました。主の弟子は、主が来られることを待ち望む心を持って信仰生活することが大切です。「主人」はイエス様を表し、「しもべ」は弟子を表しています。主人は、自分が戻ってくるのを、しもべが期待して待ち、戸を叩いたら開けてくれることを願っています。イエス様は、私たちがイエス様と会う事を期待しながら信仰生活を営むことを願っておられます。「どうせ、祈っても・・・」「仕えても、どうせ・・・」という失望感やあきらめに溺れて、眠ってしまってはいけません。帯(真理の帯、つまり御言葉。エペソ6:14,ヨハネ17:17参照)に頼り、明かり(信仰)を持ち、目を覚ましていれば、仕えて下さるイエス様を体験するようになります。

次のたとえ話では、召使いたちの上に立つ管理人について話されました。教会の信徒たちを任された指導者たちのあるべき態度についてです。忠実な賢い管理人になるようにと言われました。管理人は、主人によって、その家の召使いたちの上に任命され、食事時には彼らに決められた分を与えます。主人が帰って来た時に、忠実にそのようにしているのを見られたのなら、主人は、全財産をその人に任せるようになります。もし、そのしもべが心の中で、「主人の帰りは遅くなる」と思い、男女の召使いたちを打ちたたき、食べたり飲んだり、酒に酔ったりし始めるなら、主人が帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ報いを与えます。主人の思いを知りながら、その思いどおりに働かなかったしもべは、ひどく罰せられます。管理人に求められるのは、自分に任されている人たちに対して忠実で賢くあることです。(42)



祈り:私たちがどんな態度で信仰生活をするべきかを学びます。御言葉と信仰によって目を覚ましているように助けください。イエス様が来られる時まで、任された人たちに忠実に、愛をもって仕えるように助けてください。

一言:期待し、忠実に、賢く



2023年 07月 21日 (金)

ルカの福音書12:49-59(56)
何が正しいか

主が来られたのは、地上に火を投げ込むためです。イエス様は、この地上に聖霊の火が炎のように燃えることを願われました。聖霊の火は、汚れた罪を燃やして聖くします。このような火を付けるために、イエス様は十字架で死のバプテスマを受けるようになります。ところが、人間性を持つイエス様は、死のバプテスマを受ける前に、非常に苦しみ悶えておられました。

イエス様は、この地上に平和をもたらすために来られたのではありません。むしろ分裂を起こすために来られたのです。暗やみに包まれたこの地上の中に福音が伝えられると、分裂と葛藤が巻き起こり始めます。光とやみが衝突し、真理と偽りが対立します。神の国とこの世の国がぶつかり合うようになり、さらに、愛しあっているはずの家族の間でさえも、関係が崩れてお互いに対立して分かれるようになります。

当時の宗教指導者たちは、西に雲が出るのを見るとすぐに、「にわか雨になる」と言い、また南風が吹くと、「暑くなるぞ」と予測しました。このように彼らは地や空の様子をよく見分けることができました。しかし、彼らは、今の時代を見分けようとしなかったのです。彼らは、何が正しいか、自分で判断しようとせず、欲のままに生きようと、故意に真理を拒み、メシヤに背きました。真理の側に立とうとする決断をしなかったのです。このような偽善者たちが受けるさばきは、何でしょうか。彼らは裁判官のもとにひっぱって行かれ、牢に投げ込まれてしまいます。その時は、彼らは厳しいさばきを受けるようになるでしょう。



祈り:目先のことだけを見分けるのではなく、今の時代を見分け、私が正しい判断ができるよう祈ります。真理を受け入れ、欲望のままに生きないよう助けてください。

一言:何が正しいか、自分で判断


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