聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2023]

2023年 07月 22日 (土)

ルカの福音書13:1-9(5)
悔い改めないなら、みな滅びる

 ピラトが、あるガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちの献げるいけにえに混ぜた、というどんでもないことが起こりました。人々は、そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたのは、ほかのすべてのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったからだと思いました。また、シロアムの塔が倒れ落ちて18人が死んだ事件では、死んだ人たちを、エルサレムに住んでいるだれよりも多く、罪の負債があった人たちだったと考えました。しかし、災難を受けなかったからと言って、自分はその人たちよりも罪が少ないと思ってはいけません。自分には罪が少ないと考えるのではなく、神様が悔い改めるチャンスを与えてくださったのだと捉えるべきです。もし、悔い改めるチャンスがあったのに悔い改めないなら、その人は、災難を受けた人々と同じように滅びます。聖であり義であられる神様のさばきを受けるようになります。私たちも、いつかは神様の御前に立つ時が来ることを知って、今すぐに悔い改めるべきです。

 ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えました。時が来て、実を探しに来ましたが、何も見つかりませんでした。そこで、主人は、ぶどう園の番人に、三年もの間、実のならなかった木は、切り倒すようにと命じました。すると、番人は主人に、「どうか、今年もう一年そのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥料をやってみます。」と言い、もう一度チャンスをくださるようお願いしました。ぶどう園の番人であられるイエス様は、実のないイスラエルを、最後まで信じてくださいました。それだけでなく、実がなるように世話をしてくださいます。私たちは、イエス様にとどまっているなら、多くの実を結ぶようになります。しかし、とどまっていないのなら、枝のように投げ捨てられ、枯れて火に投げ込まれます。(ヨハネ15:5.6)



祈り:人の災難を見た時、他人事と思ったり非難したりすることがないように助けてください。人ではなく自分を振り返り、悔い改めることができるよう祈ります。

一言:まず悔い改めましょう



2023年 07月 23日 (日)

ルカの福音書13:10-17(12)
あなたは病から解放された

  安息日に、イエス様がある会堂で教えておられました。そこには、十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全く伸ばすことのできない女の人がいました。彼女は腰が曲がっていたせいで、自意識や運命的な暗い思いに満ちていたはずです。この障害によって、彼女の生活はすさんでいたことでしょう。しかし、彼女はそれで信仰を捨てることはしなかったようです。これほど長い間、苦しい思いをし続けてきたのに、それでもなお会堂に通いました。そのような彼女をご覧になったイエス様は、彼女を呼び寄せて「あなたは病から解放されました」と言って、手を置かれました。すると、彼女はただちに腰が伸びて、神様をあがめました。この世には、外側は何の問題もないように見えても、内側は、深い心の傷や様々な問題で、心が曲がった人も少なくありません。イエス様は、そのような人たちの心と人生を、まっすぐに伸ばしてくださるお方です。ですから、イエス様に出会った人は、のびのびと生きるようになり、明るい望みを持つようになるのです。

 その癒しの出来事を見た会堂管理者は、非常に憤りました。イエス様が安息日に女を癒したからです。イエス様は、そんな彼らを「偽善者たち」と叱責されました。当時のユダヤ人はみな、安息日にも、自分の牛やろばを飼葉桶からほどき、連れて行って水を飲ませました。このように、家畜に対しては、安息日のルールを寛大に適用しました。反対に、人に対しては、非常に厳しくしました。イエス様が癒した女は、アブラハムの娘であり、十八年もの間サタンに縛られていた可哀そうな人でした。それなのに、安息日だからといって彼女を病から解放してはならないのは、一体どうしたことでしょうか。むしろ、癒してあげることが正しいことではないのでしょうか。安息日に家畜の面倒を見ることよりも、もっと大切なことは、病に苦しんでいる人を助けることです。それをないがしろにする者こそが、偽善者なのです。



祈り:一見問題がなさそうでも、私の内側は問題ばかりです。神様がこの問題を解決してくださると信じ、神様の前へ真っ直ぐに出ていくことができるよう導いてください。

一言:あなたは病から解放された



2023年 07月 24日 (月)

ルカの福音書13:18-21(21)
パン種に似ています

 イエス様は、神の国をからし種に例えられました。からし種は、種の中でも最も小さいものです。しかし、小さくて目立たないその種を庭に蒔くと、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作るようになります。このたとえは、神の国の外的な成長を意味しています。神の国は、初めはとても小さいですが、その中には無限の可能性を秘めていることを示しています。神の国は生長して全世界に広がります。

同様に、イエス様はパン種のたとえを使い、神の国を説明されました。女が三サトンの粉にパン種を混ぜたところ、全体がふくれました。三サトンの粉は40リットルで、およそ100人が食べても残るほどの量です。そのために必要なパン種は、たったの一スプーンです。パン種は小さく見えるものの、力強い作用を持っています。神の国は、パン種のようなものです。人の中に蒔かれた神の国も、目立たないくらい小さく見えるかもしれません。しかし、人の人生を完全に変えてしまう力を持っています。さらに、家族、地域、社会全体を変える力を持っています。

腰が曲がった女に臨まれた神の国は、とても小さく見えます。しかし、その国はからし種やパン種のように大きく生長し、全世界に大きな影響を及ぼすようになります。腰の曲がった人のような一人に、神の国を植える1:1聖書勉強は、とても小さく見えるかもしれません。しかし、これは人を、組織を、町を、社会全体を変える強い力を持っています。



祈り:主よ、あなたの導きは時に目立たなくても力強い影響を持つことを悟ります。私達も小さな働き手ですが、主の大きな御業に用いられるように祈ります。

一言:全体がふくらむ



2023年 07月 25日 (火)

ルカの福音書13:22-30(24)
狭い門から入るように努めなさい

 「主よ。救われる者は少ないのですか。」と尋ねる人がいました。彼はアブラハムの子孫であれば救われて当然だと思っていました。しかし、イエス様の教えを聞いて自分の間違いに気づきました。救われる者は少ないのではないかと思いました。イエス様は、救われる人数については言及しませんでしたが、救われるために必要なことを教えてくださいました。それは、狭い門から入ることです。

「狭い門から入る」とは、イエス様に従うことを意味します。自分を捨て、自分の十字架を負うことです。つまり、利己的な自分の生き方を捨て、イエス様の教えて下さる生き方に従うことです。人は広くて楽な道を選びがちですが、神の国の入口は狭い門しかありません。先祖がユダヤ人だから自動的に救われるわけではありません。狭い門から入ることは、自らの意思で選ばないといけないものです。

神の国の戸を閉められてしまってからでは、戸をいくらたたいても、開けてもらえません。主といっしょに食べたり飲んだりしたことや、主から教えてもらっただけでは不十分です。主はそのような人に、知らないと言われます。彼らは外に投げ出され、泣き叫んだり、歯ぎしりしたりします。ユダヤ人のように先頭にたったことで高慢になる人は、神の国で食卓に着くことができないこともあります。しんがりである異邦人が、あとで先頭になることもあるのです。



祈り:主よ、私たちに救いの門を開いてくださった恵みを感謝いたします。広くて楽な自分の欲望や自己中心の道を日々捨てて、主の狭い門を選ぶように、私を助けてください。

一言:狭い門から



2023年 07月 26日 (水)

ルカの福音書13:31-35(33)
わたしは、進んで行かなければならない

 何人かのパリサイ人がイエス様に近づいてきて、「ここから立ち去りなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」と忠告しました。エルサレムに向かっていたイエス様は、この時、ヘロデの管轄区域内におられたようです。ヘロデはバプテスマのヨハネの首をはねた人です。パリサイ人たちはヘロデの名前を使ってイエス様を脅しました。しかし、イエス様はヘロデを、狡猾さの象徴である狐にたとえて彼らの脅しに屈しませんでした。そして、言われました。「わたしは、今日と明日、悪霊どもを追い出し、癒しを行い、三日目に働きを完了する。しかし、わたしは、今日も明日も、その次の日も進んで行かなければならない。預言者がエルサレム以外のところで死ぬことはあり得ないのだ。」イエス様はご自分の使命とすべてのことが神様の御心によって進められることを知っておられました。いくらヘロデが脅しても、悪霊どもを追い出し、病人をいやすメシヤの働きを中断することは出来ませんでした。イエス様はエルサレムに入城し、十字架の死と復活によって救いのみわざを成し遂げられました。

この話は、私たちが自分の使命を果たすとき、力ある人々や社会の圧力があるかもしれないことを教えてくれます。しかし、イエス様のように、「私は、今日も明日も、その次の日も進んで行かなければならない。使命を果たすまでは死ぬことがない」と堂々と告白し、前に進む必要があります。イエス様はご自分の身の安全よりも福音を受け入れないイスラエルの民のことを考えながら悲しまれました。イエス様の愛を拒む彼らが受けるさばきを考え、心を痛められました。



祈り:主よ、信仰によって歩む私たちを力づけて下さい。権威や社会に対して不安を感じ、信仰が揺らぐこともありますが、力強い主の守りがあることを信じます。

一言:進んで行かなければならない


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