聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2023]

2023年 07月 31日 (月)

ルカの福音書 15:1-10(4)
いなくなった一匹を見つけるまで

 パリサイ人と律法学者たちは、イエス様が取税人を受け入れて、一緒に食事をしていることに文句を言いました。そこでイエス様は、羊百匹を持っていても、そのうちの一匹をなくしたら、九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうかと反論しました。また、見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ、友だちや近所の人たちを呼び集め、一緒に喜ぶものだとも言われました。一人の失われたたましいを救う牧者の心は打算的なものではありません。一人の罪人が悔い改めると、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。また、ドラクマ銀貨を十枚持っている女の人が、その一枚をなくしたとしましょう。この銀貨は女の結婚持参金や家族からの相続財産であったと考えられます。金銭的な価値だけでなく感情的にも重要な価値があるので、そのうちの一枚を失うことは悲惨です。その女の人は明かりをつけて、家を掃いて、見つけるまで注意深く捜すでしょう。そして、見つけたら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『一緒に喜んでください。なくしたドラクマ銀貨を見つけましたから』と言うでしょう。

 一人の罪人が悔い改めることは、神様にとって大きな喜びとなります。パリサイ人と律法学者たちは罪人たちの悲しみと苦しみを知りませんでした。また失われたたましいへの神様の切なる御心を知りませんでした。パリサイ人と律法学者たちは罪人としての自分の姿を見つけるべきでした。そして罪人たちへの神様の御心を知るべきでした。私たちは神様の御心をもって、失われたたましいを見つけるまで捜し歩く牧者の生き方をすべきです。



祈り:主よ、神様から離れてしまった人を憐れみ、丁寧に探し求め、喜んで赦してくださる深い愛を私たちに与えてくださり感謝いたします。赦された者として、失われた一人のために献身するためにどうか私たちを日々力づけてください。

一言:見つけるまで捜し歩く者



2023年 09月 16日 (土)

ルカの福音書15:11-32(20,23)
放蕩息子のたとえ

弟息子は自由を求めて父親の懐から離れて行きました。彼は相続財産の分け前を持って、遠い国に行きました。そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまい、結局豚が食べるいなご豆すら食べられない身分になりました。その時になって、彼は豊かな父親のことを考えるようになりました。そして自分が父の前でひどい罪人であることを悟りました。彼は立ち上がって父のもとに帰り、自分の罪を告白しました。

父親は家を出た放蕩息子を心から待っていました。父親にとって、息子がどんな姿で帰って来ようと関係ありませんでした。むしろ喜びのあまり宴会を開きました。神様の愛はこのように深く広いものです。

兄息子は、朝早くから夜遅くまで熱心に働きました。父親の戒めを破ることなく、従いました。しかし彼の心には喜びがありませんでした。いつも不満が満ちていました。彼は、財産を使い果たして戻って来た弟を受け入れることができず、その弟を受け入れた父親の心を知りませんでした。彼は息子ではなく奴隷であり、家にいる放蕩息子でした。



祈り:父なる神様、放蕩していた私を決して忘れることなく、あきらめずに待って下さっていたことを感謝します。資格のない者を待って、迎えてくださる神様に感謝します。

一言:立って、父のところに行こう


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