聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2023]

2023年 09月 22日 (金)

ルカの福音書18:1-8(8)
速やかにさばきを行ってくださいます

不正な裁判官は、神を恐れず、人を無視するような人でした。彼はお金を愛し、権力に弱く、金持ちや権力者たちに有利な判決を出しました。彼はしばらくの間、ひとりの貧しくて力のないやもめの訴えを無視していました(4a)。しかしそのやもめがどれだけ切実に訴えたのか、どれだけ悩ましたのか、その不当な裁判官は仕方なくやもめのために裁判をしてあげることにしました。不正な裁判官であっても、あきらめない切実な訴えには、降伏しました。失望しないで訴え続ける切なる願いが勝ちました。

裁判官とやもめは他人同士でしたが、神様と私たちは父と子という特別な関係です。裁判官は不正な人でしたが、神様は義と愛に満ちておられる方です。この神様が、昼も夜も叫び求めている、選ばれた私たちのために、さばきを行わないで、いつまでも放っておかれることがあるでしょうか。神様は速やかにさばきを行ってくださいます。イエス様は、「人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか」と言われました。終末の時が近づくほど祈る信仰の人を見つけることは難しくなります。イエス様は私たちがどんな状況の中でも失望せず、祈る信仰の人になることを切に願っておられます。



祈り:主よ、私は祈っても、すぐ失望していました。これからは失望せずに切に祈り続けます。どうか、祈りに答えてください。

一言:速やかに行ってくださいます



2023年 09月 23日 (土)

ルカの福音書18:9-17(14)
あのパリサイ人ではなく、この人が義と認められる

イエス様は、自分は正しいと確信していて他の人々を見下している人たちにたとえを話されました。パリサイ人と取税人が祈るために宮に上って行きました。パリサイ人は自分が他の人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、またこの取税人のようでないことに感謝しました。そして、週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから十分の一を献げていることを誇りました。彼は自分が他の人たちと違うことへの優越感と自己義認にとらわれていました。

 一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたきながら祈りました。「神様、罪人の私をあわれんでください。」神様はこの二人のうち、パリサイ人ではなく取税人の方を義と認めました。取税人であっても多くの罪を犯したとしても、自分を低くし、悔い改めたとき、神様は彼を義と認めて高くされました。神様は自ら自分のことを高くする高慢と自己義の人を喜ばれません。神様の御前ではだれもが罪人です。罪人であることを認め、自分の胸を叩き、悔い改めるとき、神様はその人を喜ばれ、義と認められます。

人々がイエス様に触れて頂こうと、幼子たちまで連れてきました。ところが、弟子たちはそれを見て叱りました。しかし、イエス様は幼子たちを呼び寄せました。「神の国はこのような者たちのものなのです。」(16)と言われました。誰でも幼子たちのように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。幼子のように素直で謙遜な心で神の国を受け入れる時、恵みと祝福を受けることができます。



祈り:主よ、私のうちにも、自分を誇ろうとする心があることを認めます。自分が罪人であることを認め、嘆き悲しむ心を持って出て行きますので、私をあわれんでください。

一言:高くされます



2023年 09月 24日 (日)

ルカの福音書18:18-30(27)
神にはできるのです

ある指導者がイエス様に、何をしたら永遠のいのちを受け継ぐことができるかと質問しました。そこでイエス様は戒めについて言われました。彼は少年の頃からそれらすべてを守ってきたと自信たっぷりに答えました。しかし、イエス様は彼にはまだ一つ、欠けていることがあると言われました。そして彼が持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに分けてやるように命じられました。そうすれば、天に宝を持つことになると約束してくださいました。そのうえで、「わたしに従って来なさい」という方向を与えました。彼は少年のころから戒めをすべて守って来たと言う自負心がありましたが、それは外見上の従順にすぎませんでした。彼は形式的な信仰生活は送っていましたが、内面は所有欲や貪欲でいっぱいでした。これらこそが、永遠のいのちを受け継ぐことを塞いでいたのです。彼は大変な金持ちだったので、イエス様の御言葉を聞いて非常に悲しみました。

イエス様は彼が非常に悲しんだのを見て、「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しい」と言われました。それを聞いた人々は、それでは誰が救われることができるでしょうと言いました。これは彼らの心の中にも金持ちになりたいと思う心があったからでした。イエス様が言われたことから、人が救われることは決して易しいことではないように見えます。しかし、イエス様は、「人にはできないことが、神にはできる」(27)と言われました。大金持ちが貪欲と執着を悔い改め、天の御国に望みをかけ、誰よりも神の国のために働くようになることは、不可能に近いと思われますが、神にはできるのです。人そのものを見ると希望が見えませんが、神様を見上げるとき、どんな人にも望みがあります。神様が自ら救いの御わざを成しておられます。



祈り:主よ、私は世の持ち物に縛られたまま、なかなか変われずにいます。この時間、主を見上げます。あなたのみことばが力強く働いて、私の心が新たにされ、変えられるようにして下さい。

一言:神様にはできるのです



2023年 09月 25日 (月)

ルカの福音書18:31-43(41)
わたしに何をしてほしいですか

イエス様は、預言者たちが預言した通りに、異邦人たちに引き渡され、あざけられ、結局殺されます。そして三日目によみがえります。ところが弟子たちはこの御言葉を悟ることができませんでした。それは、この御言葉が隠されていたからです。彼らはその御言葉を知ろうとも思いませんでした。弟子たちは、イエス様の死と復活の霊的、歴史的な意味を知り、受け入れるために、神様に祈らなければなりませんでした。十字架と復活の秘密は弟子たちの力では知ることができません。神様が御霊を通して悟らせてくださらなければなりません。それで弟子たちは祈らなければなりません。

イエス様が行かれる途中、一人の目の見えない人が座って物乞いをしていました。彼は、イエス様がお通りになるのだ、という知らせを聞いて、叫びました。「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください。」人々は彼を黙らせようとしましたが、そのようにすればするほど、彼はますます叫び立てました。目の見えない人がイエス様に願い求めるものは分かり切っていました。「主よ、目が見えるようにしてください。」それは人の同情や少しばかりのお金ではなく、根本的な問題解決でした。彼は目を開けて見ることを願いました。その願いは聞き入れられました。私たちも、イエス様に、根本的な問題解決を願わなければなりません。



祈り:主よ、私の閉じた目を開いて下さり、イエス様の死と復活をはじめとするすべての霊的な奥義を教えてください。

一言:イエス様は見えない目を見えるように出来る方


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