聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2023]

2023年 11月 17日 (金)

ルカの福音書22:1-23(20)
契約の血

 険悪な雰囲気の中で、イエス様はペテロとヨハネに過越の食事の用意をさせました(10-12)。これを秘密のうちに行なわれたのは、イエス様を売ろうとするユダが宗教指導者たちにイエス様の居場所を知らせることができないようにするためでした。それほどイエス様は死なれる前に、弟子たちと過越の食事をすることを願われました(15)。これは弟子たちに、ご自分の死が過越の祭りと関連して、どんな意味があるのかを教えることが、何よりも大切なことであることを知っておられたからです。

イエス様は食事の途中、パンを裂いて「これは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだです。」と言われました(19)。また血のように赤いぶどう酒の杯を分けながら、「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。」と言われました(20)。過越の祭りは、イスラエルが子羊の犠牲を通してエジプトから救われたことを記念する日です(出12:13,14)。イエス様は十字架で体が引き裂かれ、血を流して死なれた子羊になりました。このイエス様を信じることで、私たちは罪からの救いを得ました。獣の血でいけにえをささげる昔の契約は、不完全であり、イエス様が成し遂げられる新しい契約の陰でした。新しい契約によるイエス様の救いは、完全であり、永遠なものです。



祈り:主よ、私のために流された血の恵みを感謝します。私はこれによって救いを受けたので、新しい人生を生きます。

一言:イエス様の死は普通の死ではない



2023年 11月 18日 (土)

ルカの福音書22:24-38(26)
一番偉い人

十字架を目前にしてイエス様は悩み悲しみました。しかし弟子たちは、誰が一番偉いだろうかと議論をしていました。世の人々は、仕えられ、人々の上に君臨する者を偉い人だと考えます。弟子たちはこのような執権者たちを嫌いながらも、うらやましく思っていました。弟子たちは異邦人の王たちとは違わなければなりません。弟子たちは、給仕する者のようにされたイエス様を、見習わなければなりません(27)。イエス様は十字架で死ぬまで罪人たちに仕えてくださいました。本当に偉い人は他の人に仕える人です。仕えることは、自分によって他の人がうまくいくように助けることです。この世で他の人に仕える人が、将来、天の御国では王座に着いて、イスラエルの十二の部族を治めるようになります(30)。

ペテロは、自分が一番偉い人だと思っていました。そのため、ペテロはサタンの標的にされていました。イエス様はこのようなペテロのために祈り、彼が立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい、と言われました。しかしペテロは自分の弱さを悟ることができず、大口をたたきました。このようなペテロにイエス様は、彼が、鶏が鳴くまでに三度イエス様を知らないと言う、と警告されました。イエス様はご自分の弟子ペテロに望みを置かれ、最後まで仕えてくださいました。



祈り:主よ、私も弟子たちと同じです。給仕するよりは給仕されたい、人よりも勝りたいと思う心があります。私も主のように、給仕する者の心を持って、兄妹たちのために祈って仕える者となるように、助けてください。

一言:一番若い者のように



2023年 11月 20日 (月)

ルカの福音書22:39-53(42)
父の御心がなりますように

イエス様は、外に出ていつものようにオリーブ山に行かれました。イエス様は、いつもの場所についた時、弟子達に「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われました。そして、ご自分は弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れてひざまずいて、こう祈られました。「父よ。みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、御心がなりますように」。ここでイエス様が言っている杯とは、神様が罪人に下される恐ろしい御怒りの杯のことでした(エレミヤ25:15)。それは、十字架にはりつけられることへの恐怖だけでなく、神様から引き離されることへの恐怖でもありました。人々の罪のゆえに死ぬため、イエス様はそれを経験しなければなりませんでした。イエス様は、その恐ろしい杯を避けたい正直な気持ちを話しましたが、御心がなるようにと祈られました。イエス様は切に祈られ、汗が血のしずくのように地に落ちました。

イエス様の祈りは、自分の願うことを捨てて神様の願われることを進んで受け入れるための戦いでした。イエス様はこの祈りの戦いにおいて勝利されました。神様が下さる杯を飲むことは復活の栄光に至らせる道であり、すべての人を生かす道です。ただ、その杯を飲むことはやさしくありません。人々はその杯を避けたがります。しかし、イエス様が飲まれなかったら、私たちはみな、罪による刑罰を受けなければなりませんでした。イエス様がその杯を飲まれたことによって、私たちは永遠のいのちを得るようになりました。私たちに与えられる神様の杯は、誰かを生かし、神様に栄光を帰すことになります。そして、私たちを復活の栄光に至らせます。ただ、私たちはその杯を自分の力で飲むことはできません。イエス様のように祈る時、神様から与えられる力によってその杯を飲めるようになります。神様の御心に従うことができます。



祈り:イエス様、試練に勝利するための祈りの模範を示して下さり感謝します。父の御心がなるための祈りを私が出来るように助けて下さい。

一言:私の願いではなく



2023年 11月 21日 (火)

ルカの福音書22:54-71(69)
力ある神の右の座に着きます

ペテロは、遠く離れたところから捕えられたイエス様について行きました。そのうちに、イエス様を知らないと三度も否定しました。すると、鶏が鳴きました。その瞬間、主は振り向いてペテロを見つめられました。イエス様の視線に気づいた時、ペテロはどこかに隠れたかったでしょう。イエス様のためなら牢に入れられることも、死ぬことも覚悟していると言い張ったのに、実際にはイエス様を知らないと否定したからです。イエス様の御顔を見たペテロは、イエス様の言葉を思い出して激しく泣きました。ペテロは、自分がどんなに弱い者であるかを分かっていませんでした。自分の力でいくらでもイエス様について行けると思っていました。それで、祈りませんでした。しかし、イエス様を知らないと何度も言ってしまったことで、自分の弱さを深く発見するようになりました。この体験を通して、彼は、弱い人々を理解し助ける役割を担うことが、その後、出来る人となりました。

夜が明けると、議会が開かれ、宗教指導者たちはイエス様を尋問し始めました。彼らはイエス様に「おまえがキリストなら、そうだと言いえ。」と急き立てました。イエス様は、彼らがイエス様の言葉を信じることなく、イエス様が尋ねても答えないことを知っておられました。それでもイエス様は、彼らに、ご自身が力ある神様の右の座に着かれると言われました。この御言葉は、やがてイエス様が神の右の座に座って世界を統治し、さばかれるという意味です。イエス様は、ご自分が神の御子であることを明らかにされました。イエス様は宗教指導者たちの前で裁判を受けていますが、やがて裁判官として彼らをさばかれます。それで、イエス様は宗教指導者たちの前でも堂々とご自分を明かされました。イエス様がこの世をさばかれるさばき主であることを信じる時、私たちは人々の前でイエス様を大胆に証しすることができます。不義な勢力の前でも堂々と生きることができます。



祈り:主よ、さばき主イエス様に対する揺るぎない信仰を持てるように、私を助けてください。その信仰によって、不義な勢力の前でも堂々と生きることができるように助けてください。

一言:やがて、世をさばかれる裁判官


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