聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2023]

2023年 11月 22日 (水)

ルカの福音書23:1-25(3)
ユダヤ人の王

 宗教指導者たちはイエス様を亡き者にしようと、イエス様をピラトの元に連れて行き、訴え始めました。彼らの訴えとは、イエス様が国民を惑わし、カイザルに税金を納めることを禁じ、自分を王と自称しているというものでした。彼らは狡猾で、イエス様がカイザルに背いているように見せつけ、告発したのです。彼らの訴えを聞いたピラトは、イエス様に尋ねました。「あなたはユダヤ人の王なのか。」イエス様は彼らが訴えたような、政治的な王ではありませんでした。ですから、イエス様が事実ではないと否認すれば、無罪放免もありえました。にも拘わらず、イエス様は「あなたがそう言っています」と答えられました。どうしてでしょうか。それは、イエス様が、この世界の国々の王ではなくても、神の御国の王であられるからです。聖書の示すとおりに、預言されたとおりに、ユダヤの中からお生まれになったイエス様は、王です。イエス様はこの裁判の過程で、この事実をはっきりと示されました。ピラトは、イエス様がローマに逆らったことがなく、無実であるとわかっていたので、イエス様には罪が認められないことを何度も祭司長たち、議員たち、そして民衆に説明しようと試みました。しかし、彼らはイエス様を十字架につけるように叫びました。ピラトが三度、イエス様が死に当たる罪は見つからないと言っても、彼らは主張し続け、十字架につけるよう大声で要求し続けました。彼らがこれほど執拗にイエス様を十字架につけろと要求するのは、イエス様が彼らの期待していた王ではなかったからです。特に宗教指導者たちはイエス様に対して妬みがありました。自分の欲を満たしてくれるような王を求める人々は、まことの王であられるイエス様を否定し、十字架につけるように言うことになります。自分の欲を満たそうとするのではなく、神様が与えて下さるものを受け取ることが大切ではないでしょうか。神の国の王であるイエス様を喜んで受け入れ、イエス様に治められるなら、恵みと喜びの中にいることになるでしょう。



祈り:主よ、私の中で変革を起こしてくださり、あなたの王国が私の心に来ますように。どうか私を治める王となってください。

一言:神の国をお与えになるユダヤ人の王



2023年 11月 23日 (木)

ルカの福音書23:26-43(43)
あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます

 イエス様は70キロもする十字架を引きずりましたが、それができなくなると、兵士たちはシモンというクレネ人を捕まえ、この人に十字架を負わせて運ばせました。彼にとっては青天の霹靂であり、無理矢理十字架を負わされることになりましたが、この十字架の福音が彼の心に光となって、シモンと彼の家族は初代教会の福音の働き手となり、尊く用いられました(ロマ16:13)。大ぜいの民衆やイエス様のことを嘆き悲しむ女たちの群れがイエス様の後について行きました。女性たちは胸をたたき、嘆き、涙に暮れていたことでしょう。そんな彼女らに、子を産んだことのない胎は幸いだと言う日が来ることをイエス様は告げられました。それは、十字架を見て同情して涙を流すのではなく、自分自身の罪を嘆き、涙を流しなさいということでした。

 「どくろ」と呼ばれている所に来ると、兵士たちはイエス様を十字架につけました。イエス様は残酷な十字架の痛みの中にあっても、十字架につけた者を赦し、彼らの罪のとりなしを祈られました。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」しかし、周りの指導者や兵士たちは、自分自身を救ったらよいとからかいました。十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエス様に悪口を言いました。ところが、もうひとりの方は彼をたしなめました。一生罪を重ね続けてきて恐れのないような彼でも、死の間際になって初めて神を恐れました。十字架につけられた今、善を行う機会はもはや彼にはありませんでした。このとき彼は眼をあげて、主イエスを見上げたのです。彼は思い切って、「あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」と願いました。彼の願いをイエス様は聞き入れ、彼の魂をパラダイスへ導かれました。



祈り:主イエス様、あなたの十字架が私のすべての罪を赦したと信じます。罪人たちをパラダイスに連れて行って下さることを感謝します。私もそのうちの一人です。

一言:犯罪者が救われたことを覚えていましょう



2023年 11月 24日 (金)

ルカの福音書23:44-56(47)
本当にこの方は正しい方であった

 十二時ごろ太陽は光を失い、全地は暗闇に支配されました。これは、神のひとり子であられるイエス様の死を神様が悲しまれている天文的な現象でした。暗やみは三時まで続き、神殿の幕が真ん中から裂けました。神殿の幕は布で聖所と至聖所を仕切っていましたが、これは神様と人間とを仕切っている壁を意味する象徴でした。この幕が裂けたことは、イエス様の十字架の死によって人が神様の御前にでて行ける新しい道が開かれたことを意味します(ヘブ10:20)。

 「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」イエス様は大声で叫んで、息を引き取られました。この出来事を見た百人隊長は神様をほめたたえ、こう告白しました。「本当にこの方は正しい人であった。」百人隊長はイエス様の十字架刑を執行し、すべての過程をつぶさに見てきました。彼は異邦人でしたが、神をほめたたえ、イエス様こそ正しい方だと告白したのです。また、この光景を見に集まっていた群衆もみな、胸をたたいて悲しみながら帰りました。十字架につけられたとしても、イエス様は正しい方だったと確信したのです。

 ここに議員のひとりで、善良で、正しい人ヨセフがいました。彼は議員たちの計画や行動には同意しませんでした。アリマタヤというユダヤ人の町の人で、神の国を待ち望んでいました。この十字架の一連の出来事は彼に大きな感動を与えました。彼はピラトのところに行って、イエス様のからだの下げ渡しを願いました。そして、イエス様を取り降ろして、亜麻布で包み、まだ誰をも葬ったことのない、岩に掘られた墓にイエス様を納めました。十字架は彼の心に働き、恐れに打ち勝つ信仰を与えました。イエス様の十字架は、周りにいた人々に大きな感動を与え、かたくなな人の心を変えていったのです。



祈り:イエス様、私のために死に、私の罪を取り除き、古い私をあなたと一緒に埋めて下さり感謝します。あなたの十字架が、私をあなたの御業のために仕える者に変えてくださいますように。

一言:十字架、変革の力


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