聖書別日ごとの糧   >>   ルカ[2023]

2023年 11月 25日 (土)

ルカの福音書24:1-12(6)
ここにはおられません。よみがえられたのです

 週の初めの日の明け方早く、急ぎ足で墓に向かう女性たちがいました。イエス様の死体に香料を塗りに来た女たちです。彼女たちのイエス様に対する愛情は限りないものでしたが、死に圧倒され、また悲しみも限りないものでした。墓に着くと、石が墓からわきに転がされているのを見ました。驚き、中に入ってみると、主イエスのからだはありませんでした。このことで途方に暮れていると、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来ました。み使いたちは、イエス様はここにおられないこと、よみがえられたと驚くような内容を伝え、イエス様がガリラヤにおられたときにお話しになったことを思い出すように言いました。「人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。」み使いたちはイエス様のよみがえりを伝えながらも、どうしてお言葉を思い出させたのでしょうか。それは、御言葉にもとづくと、復活に対する信仰を持つことが出来るからです。イエス様が死に打ち勝ち、よみがえられた話を聞くや、 悲しみと暗さに支配されていた彼女たちの心が、いのちの光で満たされました。よみがえり以上のおどろき、喜びはありますでしょうか。

 墓から戻って来た女たちは、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を話しました。ところが使徒たちにはこの話はたわごとのように思われ、彼女たちを信用しませんでした。よみがえりとは信じることが難しいものです。しかし、ペテロは、立ち上がると走って墓へ行き、かがんでよみがえりの現場をのぞいてみました。女たちの話した通り、亜麻布だけがあり、イエス様の身体はどこにもありませんでした。この出来事にペテロは驚いて家に帰りましたが、イエス様が本当によみがえったという信仰にはまだ至っていませんでした。よみがりは、人類の歴史上から見ても画期的すぎる出来事だったのです。



祈り:イエス様は十字架で死なれた後、聖書に書いてあるとおりによみがえられたと信じます。主がイエス様を死の苦しみからよみがえらせたように、私もよみがえらせて下さると信じます。

一言:よみがえられました



2023年 11月 26日 (日)

ルカの福音書24:13-35(27)
ご自分について書いてある事を説き明かされた

 イエス様の二人の弟子がエマオという村に向かっていました。イエス様の十字架に大きくショックを受け、都落ちする途中でした。ふたりでこのいっさいの出来事について話し合い、論じ合ったりしているうちに、よみがえられたイエス様ご自身が近づいて、彼らとともに道を歩かれました。しかし、失意と落胆のためか、ふたりの目はさえぎられていて、イエス様だとはわかりませんでした。二人はエルサレムで起こったことをイエス様に話しました。まさにその日の朝、女たちがイエス様のよみがえりを伝えたのにも関わらず、そのことを話す彼らはよみがえりを信じていないことが明らかでした。イエス様はこれに対して責められました。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。キリストは必ず、そのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか」。そして、イエス様は、モーセやすべての預言者から始めて、ご自分について聖書全体に書いてある事を彼らに説き明かされました。すると、彼らの心はうちに燃え出し始めました。そして、ようやく彼らはイエス様の十字架とよみがえりを信じるようになりました。日もおおかた傾き、宿に入って、イエス様はパンを取って神をほめたたえ、裂いて渡されました。それで、彼らの目が開かれ、話していた相手がイエス様だとわかりました。すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻りました。そこには十一弟子とその仲間が集まっていて、「本当に主はよみがえって、シモンに姿を現された」と話している所でした。エマオに向かっていた二人も、道であった色々なことや、パンを裂かれたときにイエス様だとわかった次第を話しました。



祈り:主よ、希望の無い絶望的な人生を歩んでいた私が、復活のイエス様に出会えるように、私とともに歩んで聖書を教えて下さり感謝致します。イエス様について聖書全体に書いてあることを悟ることが出来るように、私の目と心を開いてください。

一言:聖書はイエス様について書いている



2023年 11月 27日 (月)

ルカの福音書24:36-53(47)
エルサレムから始まってあらゆる国の人々に

 エマオから戻ってきた弟子たちがイエス様のよみがえりについて話している間に、イエス様ご自身が彼らの真ん中に立たれました。彼らはおびえて震え上がえり、幽霊を見ているのだと思いました。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを抱くのですか。」イエス様は弟子たちを責められ、十字架で釘打たれた手足を見せられました。それでも、弟子たちは、喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっていました。それで、イエス様は彼らの前で、焼いた魚を一切れ取って召し上がられました。そして、イエス様についてモーセの律法と預言者たちの書と詩編に書いてあることは、必ず全部成就すると以前話したことが、まさにこの十字架とよみがえりであることを教えられました。イエス様は、聖書を悟らせるために彼らの心を開かれました。みことばに基づいてイエス様は復活を信じる信仰を植え付けてくださいました。

 このことを信じた弟子たちには、新たな方向とビジョンを示す必要がありました。そこでイエス様は、「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる」と聖書に書かれてあることを強調されました。弟子たちはこれらのことの証人です。証人には、見聞きしたことを伝える責務があります。弟子たちが弱く、証人を全うできなくても、父なる神様が約束されたもの、つまり聖霊の力を弟子たちに与えるとイエス様は話されました。だから、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまりつづけなければなりませんでした。それから、イエス様は彼らを祝福され、天に昇られてゆきました。弟子たちはイエス様を礼拝し、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、いつも宮にいて神をほめたたえました。熱心に神様からの約束のものが与えられるよう祈り、待ち続けました。



祈り:主よ、あなたの福音の計画を理解できるよう私の心を開いて下さい。そして、あなたの証人となるように、いと高い所から聖霊の力を与えてください。

一言:あらゆる国の人々に宣べ伝えよ


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