聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2004]

2004年 03月 30日 (火)

ヨハネノ福音書1:1-18
初めにおられた神様

Ⅰ.初めに言葉があった(1-5)
イエス様は初めにおられました。神様とともにおられ、本来神様と同じ方でした。すべてのものは、この方によって造られ、造られたもので、この方によらずにできたものは一つもありませんでした。この方は造り主で、全ての命の源となられます。この命は、罪と死亡の陰に座っている者に、真の人生の意味と目的を与えます。この命が与えられる者は、たましいが生き返り、命の中を歩むことになります。
Ⅱ.神のこどもにされる特権(6-13)
バプテスマのヨハネは、光ではなく光の証しのために来ました。イエス様がまことの光です。このイエス様がこの世に来られましたが、人々は霊的な無知と高慢と不信によってこの方を受け入れませんでした。しかし、イエス様を受け入れる者は神のこどもにされる特権が与えられます。これは、人間の意志によるものではなく、イエス様を信じる者に与えられる神様の一方的な恵みです。
Ⅲ.ことばは人となって(14-18)
ことばは人となって私たちの間に住まわれました。イエス様は、天の栄光を捨てられ、人となられました。この方は恵みとまことに満ちておられます。私達はみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けました。

祈り:主よ!本来神様であられるイエス様が罪人を救うために人となられ、この世に来られたことを感謝します。私の心に来られ、光を照らし、神のこどもになる特権をお与え下さい。

一言:その名を信じる人々に与えられる特権



2004年 03月 31日 (水)

ヨハネノ福音書1:19-34
見よ、世の罪を取り除く神の小羊

Ⅰ.荒野で叫んでいる者の声(19-28)
バプテスマヨハネの人気が頂点に達した時、ユダヤ人達が調査団を遣わして「あなたはどなたですか」と尋ねさせました。その時ヨハネは、「私はキリストではありません」とはっきりと言及しました。それから、「そうではありません」、「違います」と、エリヤでもあの預言者でもないことを明確にしました。そして、「あなたは誰ですか」と続けられる質問に対して、「私は主の道をまっすぐにせよと荒野で叫んでいる者の声です(23)」と証言しました。声は、意味を伝え、その後は消え去ります。ヨハネは、叫んでいる声のように、自分の名誉と栄光を求めないで、主の道を整え、イエス様がキリストであることを証言しました。証言者の姿勢はこうでなければなりません。
Ⅱ.神の子羊(29-34)
「イエス様」というとどんな考えをするでしょうか。バプテスマヨハネはイエス様をどんな方として証言していますか。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊(29)」。人の根本問題は罪です。罪によって重荷を背負い、苦しみ迷います。イエス様はその罪を取り除くために神の子羊となられ、十字架につけられました。子羊は、旧約時代、罪を赦していただくために捧げたいけにえです。イエス様は神の小羊となられ、世の罪を一身に背負い、罪の力をその根本から取り除かれました。イエス様を信じ、イエス様の中にとどまる者は、罪の力と勢力から完全に解放されます。このイエス様に目を向けてみてください。このイエス様を仰ぎ見る時、罪が赦され、救いが与えられます。今、仰ぎ見てください。バプテスマのヨハネは、神の子羊であるイエス様を証言しました。

祈り:主よ!この時間、証しする者としての謙遜を学ばせてください。神の子羊であるイエス様によって罪から解放され、神の子羊であるイエス様を証言することができるようにお助け下さい。

一言:神の子羊であるイエス様



2004年 04月 01日 (木)

ヨハネノ福音書1:35-51
来て、そして見なさい

Ⅰ.来て、そして見なさい(35-41)
バプテスマヨハネの証しを聞いた二人の弟子は、イエス様について行きました。彼らはイエス様に関する証しだけではなく、直接イエス様について知ろうとしました。イエス様は彼らに「来なさい。そうすれば分かります。」と言われました。「来なさい」とは「自ら来てイエス様と人格的に交わってみなさい」という意味です。イエス様は、私達がイエス様の所に来てその言葉を聞くこと、イエス様と交わることを願われます。主の愛と人格を体験してみることを願われ、祈ってみることを願われます。主に招かれ、主の所に行って留まったアンデレは、メシヤであるイエス様に出会いました。アンデレは救い主に出会いました。
Ⅱ.ケパと呼ぶことにします(42)
イエス様に出会ったアンデレは、兄弟シモンをイエス様の所に連れてきました。イエス様は彼を見て「あなたをケパと呼ぶことにします」と望みを与えられました。現在の姿は弱いシモンにすぎません。しかし、イエス様は弱い彼がい つか岩になる希望を持たれました。
Ⅲ.それよりもさらに大きなことを見ることになります(43-51)
 翌日イエス様はピリポに「わたしに従ってきなさい」と言われました。ピリポはナタナエルを訪ね、イエス様について証ししました。「来て、そして見なさい。」この御言葉を聞いたナタナエルはイエス様のところに来て、イエス様のその神性に驚きました。その時イエス様は「それよりもさらに大きなことを見ることになります。」と希望を与えられました。私達がイエス様に最後まで従うなら、必ず天の国の霊的な世界までも見ることができます。

祈り;主よ!さ迷い歩いていた私に、「来て、そして見なさい」と招いてくださり感謝いたします。日々の生活において主を体験し、主と人格的に出会えますように祈ります。

一言:来て、そして見なさい


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