聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2004]

2004年 04月 21日 (水)

ヨハネノ福音書6:1-15
五千人を食べさせたイエス様

Ⅰ.ピリポをためしたイエス様(1-7)
イエス様がガリラヤの湖の向こう岸に行かれた時、大ぜいの人の群れが病人になさっていたしるしを見て、集まってきました。イエス様は、貧しさと疾病に苦しめられている群衆を見て、羊飼いのいない羊のように憐れまれました。イエス様は彼らを食べさせる方法を知っていましたが、ピリポを訓練しようとためされました。「どこからパンを買って来て、この人々を食べさせようか。」イエス様は、機会さえあれば、弟子達を指導者として育てようと訓練される、優れた弟子養成家でした。
その時、ピリポは、「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」と答えました(7)。ピリポは優れていましたが、信仰と牧者の心情がなく、試験に落ちました。
Ⅱ.アンデレの信仰を祝福されるイエス様(8-14)
一方、アンデレは群衆を食べさせようとするイエス様の心を知り、一人の少年が持っている五つのパンと二匹の魚を持ってきました。アンデレには牧者の心情とイエス様に対する信仰がありました。
イエス様は、アンデレが持ってきた五つのパンと二匹の魚を祝福し、五千人をお腹一杯食べさせました。それでも十二かごが残りました。イエス様は、信仰と心で捧げた私達の五つのパンと二匹の魚を祝福し、大きな御業を成し遂げられる力ある神様です。

祈り:主よ!私が計算していたことを悔い改め、信仰によって私の心と祈りとマンツーマンの五つのパンと二匹の魚を捧げますので、日本と世界のさまよっている若者達を充分に食べさせてください。

一言:心と信仰が奇跡を呼ぶ



2004年 04月 22日 (木)

ヨハネノ福音書6:16-21
わたしだ。恐れることはない。

Ⅰ.恐れる弟子達(16-19)
弟子達は、五千人からなる群衆に仕えて疲れ切った体で、舟に乗りました。日は暮れて暗くなりました。しかしイエス様はまだ来られませんでした。
ところがこれは何としたことでしょう。突然、大きな突風が起こり、波が荒れ始めました。弟子達は波と戦いながら、懸命に櫓をこいでいました。その時、イエス様が彼らに訪ねて来られましたが、幽霊だと思い、さらに恐れました。私達の人生の航海でも予期しなかった強風が起こっています。
Ⅱ.わたしだ。恐れることはない。(20,21)
イエス様は、恐れている弟子達に、「わたしだ。恐れることはない。」と言われました。弟子達は喜んでイエス様を舟に迎え入れると、強風はおさまりました。舟はほどなく目的の地に着きました。
イエス様の弟子達は、人生の航海で、強風に会った時、「わたしだ。恐れることはない。」と言われる主の御声を聞かなければなりません。そして心の中心にイエス様を向かえ入れなければなりません。そうすれば恐れが喜びになり、強風はおさまります。イエス様と一緒に目的の地に到着することができます。

祈り:主よ!小さな嵐が起きても恐れ、主の愛を疑った罪を悔い改めます。私に信仰を下さり、主だけを迎え、嵐に勝つことができますように。

一言:わたしだ。恐れることはない。



2004年 04月 23日 (金)

ヨハネノ福音書6:22-40
いのちのパンイエス様

Ⅰ.なくなる食物のために働くのをやめなさい(22-29)
五つのパンと二匹の魚で、五千人を食べさせた次の日でした。群衆は、しつこくイエス様を探し、さまよいました(22-24)。彼らが神経を使い、イエス様を探した目的は、しるしを見てイエス様を信じるためではありませんでした。パンを食べてお腹がいっぱいになったからです。
イエス様が五千人を食べさせたのは、イエス様を信じる信仰を植えるためでした。しかし彼らはしるしの本当の意味を知りませんでした。イエス様は彼らに言われました。「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」(27)永遠のいのちに至る食物は、イエス様だけが与えることができます。この食物を得るためにはイエス様を信じるしかありません(29)。
Ⅱ.いのちのパンイエス様(30-40)
イエス様の御言葉を聞いた群衆はしるしを求めました。モーセが荒野でマナを降らし、その民を食べさせたように、天からパンを降らせ、自分達を食べさせてください、と言いました(31)。
イエス様は、このような彼らに、自分が天から下ってきたまことのパンであり、世にいのちを与えるいのちのパンであること、を証しされました(33)。このイエス様を信じる者は、決して飢えることがなく、いのちを得ます。終わりの日に、よみがえります(35,30)。

祈り:主よ!私がなくなる食物だけのために生きることができません。私が主を信じ、永遠のいのちに至る食物のために一生懸命に生きます。

一言:食べて飲むことが人生の全てではない。



2004年 04月 24日 (土)

ヨハネノ福音書6:41-59
わたしの肉を食べ、飲む者

Ⅰ.父から聞いて学ぶ者(41-51)
イエス様はいのちのパンであり、天から下ってきた生けるパンです(51)。このパンを食べるためには、どのようにしなければなりませんか。
人間的な考えと偏見を捨てなければなりません。(42)
父なる神様のところに、引き寄せられなければなりません。(44)
神様の御言葉を聞き学ぶ、謙遜な心がなければなりません。(45)
イエス様を信じようと決心しなければなりません。(47)
永遠のいのちを持ったという確信がなければなりません。(47)
Ⅱ.わたしの肉を食べ、飲む者(52-59)
イエス様が与えようとされるパンは、世のいのちのための、イエス様の肉です(51)。イエス様の肉は、私達のたましいの食べ物であり、その血はまことの飲み物です(55)。この肉を食べ、この血を飲む者は、永遠のいのちを得て、終わりの日に、イエス様がその人をよみがえらせます。それでは、イエス様の肉を食べ、その血を飲むとはどのようにすることですか。私の罪の代わりにむち打たれ、十字架につけられ、その肉が裂かれ、血を流されたことを心から信じることです。そうすればイエス様が私の中にとどまり、私がイエス様の中にとどまるようになります(56)。

祈り:主よ!私が主の大きな救いの愛を受け入れます。みじめな私のために十字架で血を流して死なれたことで、私を生かし新しいいのちを下さった主に心から感謝します。

一言:いのちのパンイエス様


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