聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2004]

2004年 05月 09日 (日)

ヨハネノ福音書11:1-16
世の光イエス様

Ⅰ.なお二日とどまられたイエス様(1-6)
マリヤは犠牲的にイエス様に仕えた人でした。イエス様もマリヤとマルタを愛されました。ところが兄ラザロが病気になったという知らせを聞いても、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。」と言われ、なお二日そこにとどまられました。イエス様が来られないことでラザロは死にました(14)。しかしイエス様は、その事件を通して、神様の栄光を現わし、信仰を植えようとされました。それで、クリスチャンはどんな場合にもイエス様の愛を疑ったり、そのことによって絶望してはいけません。
Ⅱ.世の光イエス様(7-16)
三日目にイエス様は弟子達に、ユダヤに行こう、と言われました。しかし弟子達はユダヤ人達を恐れて、できることなら行きたくないと思いました。その時、イエス様は少しも恐れずに、昼間は十二時間あるでしょう、と言われました。イエス様は世の光です(9)。誰でもイエス様を信じる者にはいのちの光を照らして下さいます(8:12)。この光の中に歩む者は決してつまずきません。信仰で生きる者には人生がいつも明るく望みで満ちた光です。死はしばしの眠りであり、長い休息に過ぎません。イエス様は、ラザロの事件を通して、弟子達に復活信仰を植えるようになったことを大きく喜ばれました(15)。

祈り:主よ!気が小さく、恐れが多い私に命の光を照らして下さり感謝します。イエス様の愛を疑わずに、神様の栄光のために熱心に働きます。

一言:世の光



2004年 05月 10日 (月)

ヨハネノ福音書11:17-27
よみがえりであり、いのちであるイエス様

Ⅰ.終わりの日のよみがえりの時に(17-24)
イエス様が来てみると、ラザロが墓に収められてすでに四日目でした。マルタは、イエス様が来られたことを聞いて、イエス様に会いに出て行きました。もし主がここにいて下さったならラザロは死ななかったと言いました。それでイエス様のなさったことはあまりにもひどい仕打ちだと言いました。しかし、今からでも何かしてくれるだろうと思いました。
イエス様は、兄の死で深い悲しみに浸っているマルタに、兄がよみがえると望みを植えられました(3)。その時、マルタは、終わりの日のよみがえりの時に、よみがえることは知っていると言いました。その信仰は観念的であり、未来のことです。彼には現在の復活信仰が必要でした。
Ⅱ.このことを信じますか(25-27)
25,26節を暗唱してみましょう。イエス様はよみがえりであり、いのちです。誰でも彼を信じる者には死んでもまた生きます。生きて信じる者は決して死にません。イエス様は、このことを信じますか、と尋ねられました。イエス様は、今も信じる者にとって、よみがえりであり、いのちです。ついに、マルタは告白しました。「あなたが世に来られる神の子キリストであると、信じております。」

祈り:主よ!私がよみがえりであり、いのちである主を信じます。私が主を信じるので、死んでも生き、永遠に死なないことを確信します。

一言:わたしはよみがえりです。いのちです。



2004年 05月 11日 (火)

ヨハネノ福音書11:28-40
石を取り除けなさいと言われたイエス様

Ⅰ.心の動揺を感じられたイエス様(28-37)
イエス様は、マリヤが悲しむ姿と町中の人々が声を上げて泣く姿を見て、心の動揺を感じられました。また、憐れまれ、涙を流されました。イエス様は愛する子ども達を苦しめる死の勢力をご覧になって、心に憤りを感じられました。また、よみがえりであり、いのちであるイエス様を目の前にしながらも、分からず、泣いている彼らをご覧になって悲しまれたのです。
Ⅱ.信じるなら、神の栄光を見る(38-40)
イエス様は、マルタに、墓の石を取りのぞきなさい、と言われました。不信の石、悲しみの石、敗北感の石を取りのぞきなさいと言われました。ためらうマルタに再び言われました。
「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」(40)イエス様は、信仰が弱くよく絶望するマルタを最後まで御言葉を堅く掴むように助けられました。繰り返して、復活信仰を植えてくださいました。最後まで信じる信仰で、神様の栄光を見るように助けてくださいました。どんな絶望的な状況の中でも信仰を失わなければ、神様の栄光を見るようになります。

祈り:主よ!現実を見て簡単に疑い絶望していたことを悔い改めます。最後まで、仰ぎ見て信じる信仰で神様の栄光を見ようとします。

一言:あなたが信じれば



2004年 05月 12日 (水)

ヨハネノ福音書11:41-57
ラザロをよみがえらせたイエス様

Ⅰ.ラザロよ。出て来なさい。(41-44)
イエス様は墓の門を開いておいて、切に祈られました(41,42)。そして、「ラザロよ。出て来なさい。」と叫ばれました。するとラザロが手と足を長い布で巻かれたままで出て来ました(44)。イエス様は、御言葉で死の力からラザロを解放してくださいました。イエス様は、これを通して、ご自分がよみがえりであり、いのちであることを証明されました。集まって来た群衆達に信仰を植え、神様と神様の子の栄光を現わされました。
Ⅱ.ひとりの人が死んで(45-57)
死んだラザロをよみがえらせた事件を目撃したユダヤ人達はイエス様を信じました。しかし宗教指導者達はこの知らせが広がることと民達がイエス様を信じることをひどく恐れました。それでイエス様を殺すことを企みました。「ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」(50)彼らは殺人の企てを正当化しました。しかしこの言葉は自分から言ったのではありませんでした。神様の大きな御旨を成し遂げようとする預言の成就でした(51,52)。イエス様は神様が定められた御旨に従って十字架で死に、神様の子どもたちを一つにされました。死の勢力がイエス様を害することはできません。イエス様は苦しい状況の中でも、弟子達とともにおられ、時間的な余裕をもたれました。

祈り:主よ!主が私の命を主管して下さることを信じます。「ラザロよ。出て来なさい。」と言われる復活の声を聞き、勝利に満ちた信仰生活ができるように助けて下さい。

一言:ラザロよ。出て来なさい。


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