聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2012]

2012年 07月 10日 (火)

ヨハネ18:1-11
それはわたしです

 イエス様は弟子たちと共にケデロンの川筋の向こう側に出て行かれました。その時、裏切り者のユダはローマの兵士たちと宮を守る役人たちの一部を重装備させて、連れて来ました。イエス様はご自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられたので、まず尋ねられました。「だれを捜すのか。」彼らが「ナザレ人イエスを。」と答えると、「それはわたしです。」と言われました。「わたしはそれです。」とは、「わたしは、あなたがたが捜しているナザレ人イエスだ」という意味です。同時にそれは、「わたしは主なる神である」という意味です。イエス様は公開的に、ご自分が天と地を造られ、イスラエルを救ってくださった神様であることを明らかにされました。すると彼らはあとずさりし、地に倒れました。神様の御前に立つと、誰であってもひれ伏すしかありません。たとえ特殊部隊であっても、イエス様を逮捕することができません。彼らがイエス様を逮捕することができたのは、イエス様が許されたからです。イエス様が逮捕され、尋問され、十字架で死なれたのは、無能だったからではありません。神様であったにも関わらず、自発的にいのちをお捨てになったからです。
 神様であるイエス様が、なぜみずからいのちをお捨てになったのでしょうか。「それはわたしだと、あなたがたに言ったでしょう。もしわたしを捜しているのなら、この人たちはこのままで去らせなさい。」(8)。イエス様は弟子たちを生かすために、自分から逮捕されました。イエス様は、私たちを死から救い出すために、みずからいのちをお捨てになりました。イエス様は、父が下さった杯を飲まれました。イエス様は、ご自分のいのちを捨てて、羊たちを救う良い牧者です(10:15)。誰でもこのイエス様を信じるなら、罪から解き放たれ、永遠の自由を得るようになります。

祈り:主よ!私のために、自ら逮捕されたイエス様を信じることで、生涯、永遠の自由を受ける者になるように、助けてください。

一言:それはわたしです



2012年 07月 11日 (水)

ヨハネ18:12-27
世に向かって公然と話しました

 逮捕されたイエス様はアンナスのところに連れて行かれましたが、アンナスはその年の大祭司カヤパのしゅうとでした。カヤパは、ユダヤ人たちに、「ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である」と助言した人です。イエス様は、彼の言葉通りに、民たちのために死なれます。民たちに、いのちをお与えになるために、死なれます。このイエス様を、ペテロともう一人の弟子がついて行きました。門番のはしためはペテロのことを知っていました。しかしペテロはそれを否定しました。寒かったので、しもべたちや役人たちは炭火をおこし、立って暖まっていました。ペテロも一緒に立って暖まっていました。ペテロは自分を隠すために、人々の中に隠れていました。状況が悪くなると、自分を隠そうとして、卑屈になってしまいました。これが、彼が弟子として失敗した決定的な原因です。
 イエス様は、ご自分に対して、どれだけはっきりと現わされたのでしょうか。大祭司は、イエス様に、弟子たちと教えのことについて尋問しました。イエス様は、弟子たちについては、話されませんでした。彼らを保護しなければならないからです。ところが教えに関しては、はっきりと言われました。「わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみな集まって来る会堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。」イエス様は、全地に、公開的に、全てのことを教えられました。イエス様は、いつ、どこででも、ご自分に対して、はっきりと現わされました。私たちが、いつ、どこででも、大胆に自分を現わすなら、失敗しません。偉大な人になります。

祈り:主よ!私がキャンパスの牧者であることを隠さずに、大胆に、はっきりと現わす生活ができるように、助けてください。

一言:世に向かって公然と話しました



2012年 07月 12日 (木)

ヨハネ18:28-40
わたしが王である

 ユダヤ人たちはすでにイエス様を殺すことで決定していました。死刑執行権がなかったので、ピラトのもとに連れて来ました。実は、ユダヤ人たちには例外として死刑執行権がありました。すなわち、神様を冒涜するにせ預言者は石で打ち殺しました(申13章)。しかし彼らは、イエス様を石ではなく、十字架刑を通して、殺そうとしました。ユダヤ人たちは、十字架刑を、神様に呪われたしるしとして理解していました(申21:22,23)。イエス様が十字架で処刑されれば、呪われることになります。しかし神様はイエス様を呪われることによって、私たちを呪いから救ってくださいました。イエス様は、ご自分の罪によって、呪われたのではありません。私たちを生かすために、代わりに呪いを受けられたのです。
 ピラトはイエス様に尋ねました。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」イエス様は王です。イエス様は王としてお生まれになりました。イエス様は、ご自分が王であることを証しするために、この世に来られました。イエス様は王ですが、この世で意味するような王ではありません。今まで、人々はサタンの支配を受けて来ました。サタンは幸福をもたらすかのように話しますが、実際は全てのものを奪って行きました。ところがこのサタンの権威を砕かれ、新しい歴史を造る新しい王が来られました。新しい王は、いのちを与え、幸福をくださいます。王が変われば、人生が変わります。地上の国では、王のために民が存在します。しかしイエス様の御国では、王が国民のために存在します。イエス様はこのような王です。

祈り:王として来られた主よ!私を治めてくださり感謝します。この主を証しする人生を生きるように、助けてください。

一言:私たちの王、イエス様


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