2024年 01月 07日 (日)
水がぶどう酒に
イエス様と弟子たちはカナの婚礼に招かれました。婚礼とは大きな祝福に満ちた特別な日です。イエス様の母親であるマリアも親戚として出席し、イエス様と弟子たちも招かれました。ところが、婚礼の宴会でぶどう酒がなくなってしまいました。当時は、今日のようにすぐに用意できるわけではないので、これは深刻な問題でした。マリアはすぐにイエス様に知らせました。ところが、イエス様は、「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか」と答えました。イエス様の時がまだ来ていなかったからです。しかしマリアは気を落とさずに、給仕の人たちを準備させました。主が働ける環境を備えて置いて、時を待ちました。イエス様は、給仕の者たちに、六つの大きな空の水がめに水を満たすように言われました。彼らは聞き従い、水がめを縁までいっぱいにすることで、積極的に従いました。次にイエス様は、その水を汲んで宴会の世話役に持って行くように言われました。給仕の者たちは、そのまま従いました。宴会の世話役がその水を味見したとき、その水は驚くほどおいしいぶどう酒に変わっていました。宴会の世話役は、このぶどう酒がどのように作られたのかを知りませんでしたが、給仕の者たちはよく知っていました。
イエス様は、この出来事を最初のしるしとしてガリラヤのカナで行われ、自分の栄光を示されました。弟子たちはイエス様をメシアとして信じるようになりました。イエス様は絶望的な状況を変えることの出来るお方です。水をぶどう酒に変えるお方です。イエス様はこの世で味わうことのできない喜びをくださる方です。それで誰でもこのイエス様を信じるなら、世の中では得ることのできない喜びと祝福を得ます。
祈り:主よ、私たちの日々の生活の中でどんな時にも私たちの問題を助けて下さることを感謝致します。私が主を信じることで、この世では得られない喜びと祝福を受ける者になるように、助けてください。
一言:イエス様を信じましょう
2024年 01月 08日 (月)
イエスという神殿
過越の祭りが近づき、イエス様はエルサレムの神殿に行かれた。主の宮は父なる神様の家であり、罪人が神様に出会うところです。また神様の御言葉を聞いて、罪の赦しを受けるところであり、民が祈る家です。ところがイエス様がご覧になった主の宮の姿は、まったく違っていました。いけにえとしてささげる家畜が売買される市場になり、献金するお金を両替する銀行になっていました。あらゆる利権と不正の温床になっていました。これをご覧になったイエス様は細なわでむちを作り、羊と牛を追い出されました。また両替人の台を倒されました。イエス様は、貪欲、利己心に染まった主の宮に激しく怒られました。同時に、昔の主の宮の時代は過ぎ去り、新しい宮の時代が来たことも見せてくださいました。
イエス様の怒る姿を見たユダヤ人たちは、悔い改めるよりも、むしろ反発しました。彼らは資格を問い、しるしを求めました。これに対してイエス様は「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」と言われました。ユダヤ人たちはこの御言葉を全く理解できませんでした。これはイエス様が将来神殿になるご自分のからだのことを言われたのです。ユダヤ人たちが誇るエルサレム神殿やそこで行なわれる形式的な祭司はみなこわされてしまいます。イエス様は人間の罪を負って、十字架で死なれ、三日目によみがえられることで、新しい神殿になられました。今私たちは、イエス様を通して神様に出会うことができます。神様の御言葉も聞きます。また罪の赦しを受けます。いのちと自由と幸せを受けます。
祈り:イエス様、私の中にも貪欲、利己心があることを認めます。お赦しください。まことの神殿であるイエス様を信じて、罪を捨て、父なる神様と交わり、神様に喜ばれる生活が出来るようにお助けください。
一言:まことの神殿であられるイエス様
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