聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2024]

2024年 01月 09日 (火)

ヨハネの福音書3:1- 15(3)
新しく生まれなければ

 ニコデモは宗教的にはパリサイ人であり、社会的には議員であり、政治的指導者でした。またユダヤ人の教師でした。彼は名誉と富と権力を持っていました。ところがこのような彼が夜にイエス様に尋ねて来ました。イエス様は彼に言われました。「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」ニコデモは他人がうらやむ幸福の条件を持っていました。しかし彼は幸福ではありませんでした。彼には神様の国がありませんでした。彼が幸福を得るためには新しく生まれなければなりませんでした。なぜなら人生の問題は条件の問題ではなく、罪の問題だからです。罪の中に生まれたからです。それで罪の本性から抜け出さない限り、いくら大きな名誉と権力と富を所有しても、幸福にはなれません。

 ニコデモは、新しく生まれなければならない、というイエス様の御言葉を理解できませんでした。彼は母の胎内に入り再び出てくることだと思いました。人が新しく生まれることは水と御霊によって生まれることです。すなわち聖霊を通してのみ霊的に新しく生まれることが出来るのです。それは十字架高く上げられたイエス様を信じる時に可能です。これはイスラエルの民がさおに高く上げられた青銅の蛇を仰ぎ見たことによっていのちを得たのと同じことです。イエス様は神様ですが、私たちのために十字架につけられ、死なれました。誰でもイエス様を仰ぎ見るなら新しく生まれます。神様の御国の民として生きるようになります。永遠のいのちを得て、幸福をえます。



祈り:主よ、自分の努力や知識で救われないことを学びます。この時間、主を仰ぎ見ます。聖霊様が私を新しく霊的に生まれさせ、神の国を見る者になるように祈ります。

一言:水と御霊によって



2024年 01月 10日 (水)

ヨハネの福音書3:16-21(16)
神は実に世を愛された

 イスラエルは、神様から選ばれた民でした。ところが、現実は、ローマの植民地支配を受け、不正の王、ヘロデに治められていました。公平と正義によって治める神の国を待ち望んでいましたが、世は不正と悪に満ちていました。このような時、神様は本当に世を愛しておられるのだろうかと疑問が生じやすいです。ところが、16節に、神は「世を愛された」とあります。「世」はイスラエルの民だけでなく、全世界の民を指します。神様は世を愛され、ご自分のたった一人の子を与えてくださいました。与えてくださったということは、単に世の中に送られただけでなく、十字架に差し出してくださったという意味です。神様がひとり子を世の人々に与えられた理由は、御子を信じる者が滅びることなく、永遠のいのちを持つためでした。永遠のいのちとは、さばきから抜け出し、神様の統治を受ける状態になることを意味します。神様が与えられるいのちを味わうことです。

 人々は、神様が遣わされたひとり子を信じないので、永遠のいのちを受けることができず、さばきの中で生きています。神様の愛を知らずに罪に陥ったまま生きていきます。人々がイエス様を信じない理由は、自分の行いが悪く、光よりも闇を愛しているからです。自分の行いが明らかになることを恐れ、光を憎むのです。しかし、真理に従う人は、光のほうに来ます。イエス様の御言葉を聞いて、自分が神様の前に罪人であるという事実を認め、イエス様の十字架の前に進みます。このような人は、イエス様を神の子であると信じ、永遠の命を得ます。ひとり子をくださった神様の愛を信じる人は、現実の多くの困難の中でも永遠の命の喜びを享受することができます。



祈り:主よ、あなたが支払うことができる最上の価値をもって私たちの罪の対価を払ってくださったことを感謝します。主の秩序の下で与えられた命があることを、多くの人が、気が付くことができますように。その証拠として私たちの信仰生活を用いてください。

一言:ひとり子をお与えになったほどに



2024年 01月 11日 (木)

ヨハネの福音書3:22-36(30,31)
あの方は盛んになり

 イエス様は弟子たちとユダヤの地に行き、バプテスマを授けておられました。ヨハネもサリムに近いアイノンというところでバプテスマを授けていました。多くの人々がイエス様のところに行きました。その後、ヨハネの弟子があるユダヤ人ときよめについて論争した後、師匠であるヨハネを訪ね、すべての人がイエス様のほうに行ってしまっていることを伝えました。自分に来ていた多くの人がイエス様のほうに行くのを見て、ヨハネはイエス様をねたむこともできたでしょう。ところが、彼はそれを聞いて、むしろ大きく喜びました。花婿が花嫁を迎える時、花婿の友人が喜ぶように、喜びました。彼はむしろ告白しました。「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」彼は自分の存在意味と使命が何であるのかを知っていました。またそれが成し遂げられることによって、喜びを見出す人でした。このような彼は幸福でした。

 バプテスマのヨハネが、イエス様が盛んになることを喜ぶ理由は何でしょうか。それはイエス様がどんな方であるのかを知っていたからです。イエス様はヨハネとは違って、上から来られた方です。イエス様は神様が遣わした方であり、すべてのものの上におられ、統べ治める方です。また神様の御言葉を証しされる方です。それでイエス様の証しを受け入れる人は、神様が真実であることを、受け入れる人です。イエス様を正しく知る時、正しい証言者の姿勢を持つことができます。自分の働きの成功ではなく神様の御業の成就を喜び、大切にすることができるようになります。



祈り:イエス様、あなたがどんな方であるかを知れば、自己認識を正しく持てるようになることを学びます。主を良く知り、自分をよく知り、謙虚な姿勢で主の使命に従うことが出来るように助けて下さい。

一言:上から来られる方


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