聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[2024]

2024年 05月 14日 (火)

ヨハネの福音書13:1-11(1)
最後まで愛された

イエス様は、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っていました。しかしイエス様は、世にいるご自分の者たちを最後まで愛されました。イエス様は夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれました。それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗い始められました。このように客の足を洗う行為は最も身分が低い奴隷が行うことでした。

イエス様は、ご自分を売ろうとするユダの足までも、洗われました。ペテロは、師であるイエス様が自分の足を洗うことを、強く拒否しました。イエス様は、洗わないのなら自分とは何の関係もない、と言われました。イエス様の愛は、罪人の足を洗う愛です。最後まで十字架を背負われる愛です。この愛を受ける唯一の道は、自分の汚れた足をイエス様に差し出して、洗ってもらうことです。すでに水浴した者であっても、日々足を洗ってもらわなければなりません。これは、イエス様によって救われた後も、続けて主の恵みを受け取りながら生活をすること、御言葉によって心を新たにしながら変えていただく生活(ローマ12:2)をすることです。



祈り:イエス様が日々罪を犯す足りない私を、最後まで愛し、罪のきよめのために十字架にかかって下さったことを信じます。そんな主の愛を信じて、毎日、素直に主の御前に出て主のきよめを頂くようにお助け下さい。

一言:イエス様の変わらない愛



2024年 05月 15日 (水)

ヨハネの福音書13:12-38(14)
模範を示したのです

イエス様は、主自ら足を洗う謙遜と献身を通して、愛の関係が結ばれることを見せてくださいました。イエス様は弟子たちに、「あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。」と言われました。イエス様を信じる私たちは、イエス様に自分の足を洗ってもらうだけではなく、イエス様に見習って、互いに足を洗い合わなければなりません。罪人である私の足を主が洗ってくださったように、相手の短所やあやまちを担い、寛容な心で赦し合い、互いに仕え合わなければなりません。そのためにイエス様は模範として最大限の謙遜と献身を示されました。

イエス様がこのことを弟子たちに示されたのは、普段から弟子たちの間で競争心や互いに無関心な態度があったからです。また、この後ユダが裏切り、ペテロがイエス様を三度否定し、他の弟子たちもイエス様を見捨てて逃げてしまうことを正確に知っておられたからでした。自分たちの罪によって躓くしかない弟子たちが、イエス様の十字架と復活を通して世界に出て行き、福音を宣べ伝えるためには、「互いに愛し合いなさい、わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」という主の戒めが必要でした。イエス様がされたように私たちが隣人を愛する時、私たちはイエス様の愛によって一つになる愛の共同体になることができます。そして、イエス様の弟子であることを世に示すことができます。



祈り:主よ、私たちに謙遜と献身の模範と互いに愛しあうキリストの愛を示してくださり感謝します。主のように隣人を受け入れ赦す者になるように、助けてください。

一言:互いに愛し合いなさい


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