聖書別日ごとの糧   >>   使徒の働き[2004]

2004年 03月 05日 (金)

使徒ノ働キ17:1-15
紳士的なべレヤ人

Ⅰ.野蛮なテサロニケ人(1-9)
 使徒パウロは、テサロニケに到着し、ユダヤ人の会堂に入って行き、三つの安息日に渡ってイエス様がキリストであることを論じました。特に、イエス様の十字架とよみがえりを証ししました。その時、真理を愛するギリシャ人、数少なくない貴婦人たちは御言葉を聞いて信じるようになりました(4)。
 しかしユダヤ人たちの反応はどうでしたか。彼らは町のならず者をかり集め、町を騒が、イエス様を受け入れた子羊を苦しめました。それだけではなく、べレヤまで遠征に行き、御言葉の御業を妨害しました(13)。その理由は何でしょうか。ねたみだからです(5)。感情や欲望が先立てば、悔い改めなければならない時、悔い改めることができず、ねたみの奴隷になります。
Ⅱ.紳士的なべレヤ人(10-15)
 べレヤ人の御言葉を聞く姿勢は大変紳士的であり、学者的でした(11)。彼らは切なる心で御言葉を受け、その御言葉の意味をさらに確信して聞こうと毎日聖書を調べました。結局、そのような中で信じる人が多く起こりました。
 御言葉を形式的に受け、常識で終わる人ほど浅はかに見える人はいません。御言葉を切に心から受け入れ、調べる人こそ真実であり、内面性がある人です。

祈り:主よ!私が御言葉に対する恐れ敬う心がなく、常識として接してきたことを悔い改めます。私が切なる思いで、御言葉を受けいれ、聞き従う者になるように助けてください。

一言:切なる心、探求する姿勢



2004年 03月 06日 (土)

使徒ノ働キ17:16-34
哲学的に説教するパウロ

Ⅰ.心に憤りを感じたパウロ(16-18)
 パウロがアテネに入った時、町が偶像でいっぱいでした。これ以上、つける名前がないと、「知らない神に」と刻まれた祭壇もありました(23)。使徒パウロはこの偶像の巣になった都市を見て、心に憤りを感じました(16)。それで、会堂で、市場で出会う人と、論じてイエス様のよみがえりの真理を伝えました。エピクロス派とストア派の哲学者たちと論じ、福音を伝えました(18)。
 今も、神様を受け入れながらも迷信と偶像崇拝、ヒューマニズムの哲学に病んだ人々が多くいます。彼らに対する霊的な憤りと牧者の心情によって十字架の福音を証ししなければならないのです。
Ⅱ.哲学的に説教する使徒パウロ(19-34)
 使徒パウロはギリシャ人たちに流暢なギリシャ語で、哲学的な説教をしました。彼らの宗教性を認め、見える現状をたとえにして、存在論的に、形而上学的に、創造主神様を証ししました。また、ギリシャ人の言葉を引用して行き、大変注意深く神様の裁きとイエス様のよみがえりを証ししました。パウロの説教は大変論理的で文学的で、哲学的でした。
 しかし結果は微々たるものでした(32,33)。これは、彼のメッセージの焦点がずれ、力がなくなったことを言います。その理由は、必要以上に聴衆を意識して、彼らに合わせようとしたからです。

祈り:主よ!私も使徒パウロのように霊的な憤りをください。そして知性人たちに哲学的な言葉より十字架の福音だけを大胆に証するように助けてください。

一言:美しい言葉より十字架の福音だけを


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