聖書別日ごとの糧   >>   使徒の働き[2012]

2012年 09月 26日 (水)

使徒2:1-13
五旬節の聖霊降臨

Ⅰ.炎のような分かれた舌(1-3)
 五旬節の日に、弟子たちがみな一つの所に集まっていました。彼らは聖霊を待ち、心を一つにして熱心に祈っていました。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こりました。それは彼らのいた家全体に響き渡りました(2)。そして炎のような分かれた舌が現れて、弟子たち一人一人の上にとどまりました。これこそが「聖霊」でした。聖霊は熱い火のように現れ、炎のような分かれた舌で一人一人の頭の上にとどまりました。聖霊は弱かった弟子たちに大きな力を吹き入れ、彼らの内面にある全ての罪を焼き、きよめました。これが、主が約束された聖霊のバプテスマです。聖霊が下ると、どんな人も変えられ、新しい人になります。
Ⅱ.聖霊に満たされた弟子たち(4-13)
 弟子たちが聖霊に満たされた時、驚くべきことが起こりました。御霊が話させてくださる通りに、弟子たちは他国のことばで話しだしました(4)。当時、エルサレムには世界各国から来たユダヤ人たちが住んでいました。弟子たちは彼らに、それぞれの国のことばで福音を宣べ伝えました(6)。人々は、ガリラヤの田舎者が流暢な外国語で話すのを聞いて、驚き怪しみました。ある人々は、「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。」と言って、あざけりました(13)。しかしこれはお酒に酔ったのではなく、聖霊に満たされて、言葉の壁を克服して大胆に福音を宣べ伝えたのです。聖霊に満たされる時、世界の全ての民に仕えることができます。

祈り:主よ!私に聖霊を満たしてくださり、世界のあらゆる民に仕える福音の証人にしてください。

一言:聖霊に満たされよう



2012年 09月 27日 (木)

使徒2:14-21
青年は幻を見

Ⅰ.青年は幻を見(14-18)
 ペテロは、「弟子たちが外国語で話すのは、お酒に酔っているのではなく、預言者ヨエルによって語られた事」を証ししました(16)。神様は、ヨエルに、「世の終わりの日に、神様の霊をすべての人に注ぐ」と約束されました。神様が、ご自分の霊を人々に注ぐと、どんな驚くべきことが起こるのでしょうか。子どもたちは預言し、青年は幻を見、老人は夢を見るようになります。この御言葉通りに、聖霊を受けた弟子たちは預言をし、世界宣教の幻を見るようになりました。そして世界の至る所に出て行き、各国の言葉で福音を大胆に宣べ伝え始めました。神様の霊が注がれる時、小心者で弱い者たちがビジョンで燃え上がるようになり、世界の人々を抱き仕える神様のしもべになります。ビジョンがない青年は死人のようです。青年にビジョンがない時、その社会や国は望みがありません。神様の霊が注がれた者が、望みとビジョンに満たされるようになります。
Ⅱ.主の御名を呼ぶ者(19-21)
 預言者ヨエルは、主の降臨についても、預言しました。終わりの日に、天には不思議なわざが起こり、地にはしるしが現れます。イエス・キリストが大いなる栄光で来られる前に、太陽は光を失い、月は血に変わります。その日には、宇宙規模の大患難が起こります。しかしこのような大きく恐れの日にも、主の御名を呼ぶ者は救いを受けます(21)。どんな患難やさばきの中でも、主イエスの御名を呼ぶ者は、決して滅びることはありません。

祈り:主よ!弱く、小心者の私に聖霊を注ぎ、ビジョンに燃え上がる若者にしてくださるように、お祈りします。

一言:青年よ、幻を見よ



2012年 09月 28日 (金)

使徒2:22-36
イエス様を証しするペテロ

Ⅰ.よみがえられたイエス様(22-32)
 神様は、イエス様の力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を通して、この方が主であり、キリストであることを証しされました(22)。このイエス様を、ユダヤ人たちは律法を知らない異邦人たちの手を借りて、十字架につけて殺しました。しかし神様は、イエス様を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました(24)。イエス様のよみがえりは、すでに何百年も前に、ダビデの詩を通して預言されました(詩16:8-11)。「あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。」(27)。神様はダビデの預言通りに、イエス様をよみがえらせました。使徒たちは、この出来事を直接目撃した、復活の証人たちでした。ペテロはイエス様のよみがえりを証しすることで、イエス様がまさに神様の約束されたメシヤであることを、証ししました。
Ⅱ.主であり、キリストであるイエス様(33-36)
 神様は、イエス様をいと高き所に置かれ、神様の右の座に座らせ、世を治める主であり、キリストとされました。このイエス様が約束された聖霊を神様から受け、弟子たちに注いでくださいました(33)。今ユダヤ人たちは、彼らが十字架につけたイエス様を、神様が再びよみがえらせ、主であり、キリストにされたことを知らなければなりません(36)。彼らが救いを受ける道は、イエス様を十字架につけた罪を悔い改め、イエス様がキリストであることを信じることです。私たちは、イエス様をどんな方として理解し、また、どんな方として証ししているのでしょうか。

祈り:主よ!イエス様はよみがえられた主であり、キリストであることを信じます。私がこのイエス様を積極的に証しできるように、祈ります。

一言:イエス様は誰か



2012年 09月 29日 (土)

使徒2:37-47
初代教会の共同生活

Ⅰ.悔い改めて、罪の赦しを受けなさい(37-40)
 ペテロの説教を聞いたエルサレムの人々は、イエス様を十字架につけた罪のために、心が痛んでどうすることもできませんでした。ペテロは、このような彼らに、どんな方向を与えたのでしょうか。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」(38)。神様は、自分の罪を悔い改める者を喜ばれ、その人の罪を赦してくださり、また、賜物として聖霊をくださいます。これは時空間を超越し、全ての信じる者に与えられる神様の約束です。
Ⅱ.使徒たちの共同生活(41-47)
 その日、悔い改めてバプテスマを受けた弟子たちの数は三千人にものぼりました。彼らは使徒たちの教えを受け、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていました(42)。過去、利己的で自己中心的な生活態度を捨てて、いっさいの物を共有にし、自分たちの資産や持ち物を売っては、貧しい人たちに分け与えました(44,45)。それだけではなく、毎日心を一つにして、宮に集まり、食事を共にし、神様を賛美しました。彼らは自発的に共同生活を始め、愛の共同体を築きました。このような良い影響によって、民たちから好意を持たれ、信じる人々が日々加わって行きました(47)。初代教会の聖徒たちの自発的な共同体こそが、この地に存在する小さな天の御国であり、最も美しい教会の姿です。

祈り:主よ!私が聖徒たちとの共同生活をうまく維持できなかったことを悔い改めます。今、集まりに力を入れ、愛の共同体を作ります。

一言:愛の共同体を作ろう


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