聖書別日ごとの糧   >>   使徒の働き[2012]

2012年 10月 07日 (日)

使徒7:1-16
栄光の神様

Ⅰ.アブラハムを召された神様(1-8)
 7章は、ステパノのメッセージと殉教信仰に関する記録です。彼のメッセージは、ユダヤ人たちが告訴した律法と宮についての、弁証です。今日の御言葉を通して、ステパノは、根本的にイスラエルと神様がどんな関係にあるのかを、話しています。
 アブラハムはイスラエル人の先祖です。神様はアブラハムを、偶像崇拝の本拠地であるメソポタミヤから呼び出されました。しかし神様は彼に、足の踏み場となるだけの土地すら与えられず、ただその土地を、彼とその子孫に与えると、約束されただけです。また、彼の子孫が四百年間、異邦の地の奴隷にされ、虐待されてから、その地を持つようになる、と言われました。そして、そのしるしとして、割礼の契約を結ばれました。年を取り、何の望みもなかったアブラハムに望みを置かれ召してくださった神様は、栄光の神様です(2)。
Ⅱ.ヨセフと共におられた神様(9-16)
 ヨセフは、兄たちのねたみによって、エジプトに奴隷として売られて行きました。その後、ヨセフは奴隷生活、獄中生活など、波瀾万丈の生活をしました。しかし神様は彼と共におられ、パロの王の前で、恵みと知恵が与えられたことで、彼をエジプト全土の大臣に任じられました。神様は、ヨセフを通して、大きな災難の中にいるイスラエルの民を救われました。神様は彼の運命的な生活を全て、摂理に変えてくださいました。

祈り:主よ!みじめな罪人に、大きな御旨と望みを置いて召され、宝のような約束の御言葉をくださり、感謝します。私を、いのちを救う御業に、尊く用いてください。

一言:栄光の神様



2012年 10月 08日 (月)

使徒7:17-38
モーセを召された神様

Ⅰ.モーセを育てられた神様(17-29)
 ステパノはアブラハムとヨセフの神様を証しした後、核心に入って行き、モーセについて詳しく話しました。モーセはこの世に生まれるとすぐに、ナイル川に投げ込まれなければならない危惧の運命を担っていました。しかし神様は、両親の信仰とパロの娘を通して、そのいのちを救ってくださいました。モーセはお姫様の息子として、当時最高の文明国であるエジプトで、宮中教育を受け、ことばにもわざにも力がありました。
 モーセは四十歳になると、神様が自分を通してイスラエルの民を救おうとされることを、悟りました。しかし若い血気と良い思いだけでは、指導者になることができませんでした。結局彼は同族から退けられ、荒野で四十年間旅人の生活をしなければなりませんでした。しかし、そこには神様のすばらしい御子がありました。
Ⅱ.モーセを召された神様(30-38)
 神様は、四十年の宮中教育を通して、モーセが指導者の基礎を築くようにされ、四十年の荒野訓練を通して、神様の人として育てられました。神様は、時になると、失意と絶望の中にいるモーセを訪ねて来られ、柴の燃える炎の中に現れ、モーセを召されました。そして彼を、エジプトでうめくイスラエルの民を救う者として、遣わされました。モーセを召された神様は、先祖と交わされた約束を守る、真実な方であり、罪人が近づくことのできない聖なる方です。何より、選ばれた民のうめき声を聞かれる愛の神様です。

祈り:主よ!荒野訓練を通して、私を主が用いられる霊的な指導者として、育ててください。

一言:訓練された霊的指導者



2012年 10月 09日 (火)

使徒7:39-60
ステパノの殉教信仰

Ⅰ.ステパノの勇気(39-53)
 神様はモーセを通して、イスラエルを救ってくださいました。しかし彼らはモーセに従わず、昔の生活をなつかしく思い、偶像崇拝をしました(39-41)。ところが、ステパノの時代のユダヤ人たちは、宮を偶像化していました。彼らは、神様が宮におられると言い、宮を神様のように考えました。彼らに、ステパノは聖書の御言葉を通して、いと高き神様は人の手で造った家にお住みにならない、と証ししました(48,49)。そして、彼らが偶像に仕え、罪を犯し、彼らの先祖たちのように聖霊に逆らい、神様のしもべたちを迫害し、神様が遣わされたメシヤを殺した、と証ししました(51-53)。
Ⅱ.ステパノの信仰(54-56)
 ステパノの悔い改めのメッセージを聞いたユダヤ人たちは、はらわたが煮え返る思いで、歯ぎしりしました。しかしステパノはむしろ聖霊に満たされていました。この殺伐とした雰囲気の中でも、神様の栄光と、よみがえられた主が神様の右に立っておられるを見ました。死の瞬間までも、彼は苦痛よりも、神様の栄光と復活の望みで満ちていました。
Ⅲ.ステパノの愛(57-60)
 ステパノは石に打たれ、死んで行く中でも、敵のために祈りました(60)。彼の祈りは、主の最後の祈りと同じものでした(ルカ23:34)。ステパノは死ぬことで、イエス様の愛を証しした殉教者でした。

祈り:主よ!私も聖霊で満たされ、ステパノが持っていた勇気と信仰と愛を、ください。

一言:殉教信仰


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