聖書別日ごとの糧   >>   使徒の働き[2012]

2012年 12月 15日 (土)

使徒21:1-14
死を覚悟したパウロ

Ⅰ.弟子たちのところに訪ねて行ったパウロ(1-6)
 パウロは三年もの間に情の移ったエペソの長老たちと涙で別れを告げた後、コス、ロドス、キプロスを経て、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸しました。この遠い航海の末、弟子たちに出会ったパウロは、そこで七日間滞在して、彼らとたましいの交わりをしました。そして別れる時には、ひざまずいて心を合わせて祈りました。パウロのエルサレムの旅程は重要で、また切なるものでした。それにも関わらず、彼はできる限り、弟子たちを顧みて、助けようとしました。どんな状況の中でも、兄弟たちに訪ねて行く人が、本当の牧者です。
Ⅱ.死ぬことさえも覚悟しています(7-14)
 使徒パウロがエルサレムに行く目的は、それまで異邦人たちから集めた救済献金を、エルサレムの兄弟たちに伝達するためでした(ロマ15:26,27)。ここには、異邦人とユダヤ人がキリストの中で一つになるという、大切な意味がありました。ところが、エルサレムには捕らえられ、患難がパウロを待っていました(20:24)。それで、行く先々で、聖徒たちがパウロのエルサレム訪問を止めました(4)。カイザリヤの人々は泣きながら、「エルサレムに上らないように。」と頼みました。しかしパウロは言いました。「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」(13)。パウロはイエス様の御名のためなら、縛られることも、死ぬことも覚悟し、行くべき道を行こうとしました。

祈り:主よ!私が人の同情に弱くならず、死を覚悟して、神様の御旨に聞き従うしもべになるように、助けてください。

一言:死を覚悟して、行くべき道を行く



2012年 12月 16日 (日)

使徒21:15-26
律法の下にいる者のように行なったパウロ

Ⅰ.宣教報告をするパウロ(15-19)
 パウロの一行は、ついにエルサレムに到着しました。彼はまず、エルサレムの監督であるヤコブを始め、長老たちにあいさつをしました。そして彼らに、神様が自分を通して異邦人の間でなさったことを、報告しました。主のために、多くのことをするのも大切なことです。しかし、それよりもさらに大切なことは、そのことを通して、神様の栄光を現わすことです。
Ⅱ.福音の御業を守ろうと譲るパウロ(20-26)
 パウロの宣教報告を聞いて神様をほめたたえた長老たちは、それまでパウロのために受けた苦しみを話しました。エルサレムには、律法に熱心な数万人の聖徒たちがいました。彼らは、「パウロが異邦の地にいるユダヤ人たちに、『律法を守らないように』と教えている。」と誤解していました。彼らは、このような誤解をなくすために、パウロと一緒に来た四人と共に頭をそって、誓願を立てたほうが良い、と言いました。これは、今まで福音信仰を守ろうと努力して来たパウロには、あまりにも自尊心が傷つくことでした。しかしパウロは、これが信仰の問題ではなく、誤解から始まったことであることを知っていました。パウロは不必要な誤解をなくし、また彼らと一つになるために、宮に入って誓願を立てました。このような彼の成熟した姿勢によって、エルサレム教会と異邦人の教会が一つとなり、福音信仰も守ることができました。私たちが、自尊心だけを出すのではなく、パウロのように成熟になることで、一つになることに力を入れなければなりません。

祈り:主よ!私が広い心を持って、一つになることに力を入れるように、助けてください。

一言:私の自尊心より、福音の御業を守ろう



2012年 12月 17日 (月)

使徒21:27-40
理由なしに苦しみを受けるパウロ

Ⅰ.宮の外へ引きずり出されたパウロ(27-32)
 誓願の日がほとんど終わろうとしていた頃、アジヤから来たユダヤ人たちは、パウロが宮にいるのを見ました。彼らは、「パウロが至る所で、律法に逆らい、宮を軽んじ、ギリシャ人を宮の中に連れ込んで、宮を汚している」と群衆を扇動しました。勿論、これは誤解でした。パウロは律法を軽んじたり、宮を汚したりはしませんでした。しかし扇動された群衆は獰猛な狼の群れのようにパウロに近づいて来て、宮の外へ引きずり出しました。 
 パウロは、何のあやまちもありませんでしたが、理由なしに苦しみを受けました。これを通して、パウロは、イエス様の苦しみにあずかりました。私たちも主に従って行く時、人々から誤解され、理由なしに苦しみを受ける時が多くあります。しかし、これはイエス様の苦しみにあずかることです。神様のことを考えることで、理由なしに受ける苦しみに耐え忍ぶことは、美しいことです(Ⅰペテ2:19)。
Ⅱ.機会をとらえたパウロ(33-40)
 パウロは苦しみを、受け身の形だけで担ったのではありませんでした。彼はギリシヤ語で千人隊長から了解をとって、ユダヤ人たちに福音を伝える機会をとらえた後、彼らにヘブル語で福音を伝えました。パウロは、苦しみがあるからと言って、落胆しませんでした。どんな苦難があっても、彼は福音を伝えようとする情熱に燃えていました。苦難の中でも、目を覚ましている人には、必ず機会が与えられます。

祈り:主よ!私も、理由なしに苦しみを受けられた主の苦難にあずからせてくださり、感謝します。私が、苦しみの時に、悲しみに陥らずに、苦しみの中でも、力強く福音を伝えるように助けてください。

一言:苦難を積極的に担おう


<<(1)    前のページ(20)    21    次のページ(22)    (25)>>

聖書別日ごとの糧