聖書別日ごとの糧   >>   使徒の働き[2019]

2019年 02月 01日 (金)

使徒の働き1:1-11(8)
私の証人となります

 イエス様は私たちの罪のために十字架で死なれ、三日目に復活されました。復活されたイエス様は四十日間弟子たちに現われ、神の国のことを語られました。なぜなら、弟子たちの究極的な望みは神の国にならなければいけなかったからです。しかし、弟子たちは相変わらずイスラエルの回復だけに関心を持ちました。そんな彼らに、イエス様は、「いつとか、どんなときということは、・・・父がご自分の権威をもってお定めになっている」(7)と言われました。イスラエルの回復の問題は神様に委ねるべきです。代わりに、聖霊の力を受けてから、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、イエス様の証人とならなければなりません。
 イエス様は、敵対していたサマリヤから始まって地の果てにまで、イエス様の証人となるように言われます。「証人」というのは、見聞きしたことをそのまま証言する人のことです。弟子たちは、自分たちが直接目撃したイエス様の生き方と人格を伝えなければなりません。イエス様の生涯の核心である十字架と復活を見たとおりに証言しないといけません。しかし、証人として生きることはやさしくありません。イエス様を嫌う人はその証人をも嫌うからです。イエス様を殺した人たちは、イエス様の証人をも殺そうとするでしょう。けれどもイエス様の証人たちを通して、主イエス・キリストの御名は地の果てにまでに知れ渡るようになります。その主の証人たちか行く所では、どこであっても救いの御業が起こるのです。
 イエス様はこの時代、私たちをご自分の証人として立ててくださいました。イエス・キリストの証人としての活動は近い所から始まります。自分の周りの人々や自分が属するキャンパスから始まって地の果てにまで広がるのです。イエス様の証人として生きようとする時、苦難や迫害があるでしょう。しかし、私たちはどんな苦難に遭っても乗り越えられ、どんな迫害にも耐えられます。なぜなら聖霊様がいつも私たちと共におられるからです。イエス様の証人である私たちは、今日、だれにイエス様を紹介することができるでしょうか。


適用 : 私は誰ですか

一言 :イエス様の証人



2019年 02月 02日 (土)

使徒の働き1:12-26(14)
心を合わせ、祈りに専念した

 何事でも始める時には、最初の一歩がとても重要です。イエス様が昇天した後、弟子たちだけが残されました。弟子たちは自分たちだけで新しい御業を担っていかなければなりませんでした。それでは、弟子たちは何をしましたか。彼らはイエス様の命令通りにエルサレムを離れませんでした。何をどうすればいいのかが分からない状況の中、彼らは何よりも先に神様に祈りました。みなが心を合わせて祈りに専念したのです。
 このように、弟子たちみなが心を合わせて祈る姿は、これまでになかった場面です。彼らは、イエス様が共にいた時にさえ、互いに妬みあったり、競い合ったり、争ったりしていました。しかし、みなで心合わせて祈ることによって心が一つになりました。新しい御業に仕えるようになった弟子たちに一番必要なことは、聖霊の器を作る事でした。心を合わせて祈りに専念することで、共同体は一つになりました。女の人が無視された時代に、女の人たちも信仰の同労者として受け入れられ、心を合わせて祈りに専念したのです。このような祈りを通して、彼らはただ神様に頼り、主イエスが約束した聖霊を待つことが出来ました。宗教指導者たちに対する恐れも克服することが出来ました。また、主からいただいた使命を担える強い信仰をも持つようになりました。
 心を合わせて祈りに専念する時、そこにはすばらしい力があります。イエス様は「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる」(マタイ18:20)と約束されました。みなが心を合わせて祈ると、信仰の共同体にある多くの問題が解決され、美しい聖霊の器が作られます。心を合わせて祈るうちに、弟子たちの心の奥底に残っていたユダの問題も解決されました。ペテロが詩篇の御言葉を持ってユダの代わりにマッテヤを新しい弟子として立てたことが、それを物語っています。こうして新しい御業のための聖霊の器が完成されました。どんなに偉大な御業を夢見ていても聖霊の器を作らなければ、神の御業は起こりません。だから聖霊の器を作るのが神様の御業の出発点であるわけです。


適用 : 完全な聖霊の器を作ることを願いますか

一言 : 心をあわせて祈る祈り


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