聖書別日ごとの糧   >>   使徒の働き[2019]

2019年 03月 22日 (金)

使徒の働き7:1-16(2)
栄光の神様

 会堂にいたユダヤ人たちは、知恵と御霊によって語っているステパノに対抗することができませんでした。そこで人々を買収しました。彼らは、ステパノが聖なる所と律法を中傷したと話しました。そのため、ステパノは公会の前に立たされました。大祭司はその中傷が事実なのか尋ねました。ステパノは大祭司の質問に、弁明することも出来ました。しかし、ステパノはこの瞬間、神様がどんな方であるのかを証しすることにしました。彼は、神様は栄光の神様だと話しました。栄光の神様とは、本来栄光なる方であるとの意味です。又、自分自身を現わす方、という意味です。神様は、ご自分が選んだ人に、ご自分が誰であるのかを現されました。神様は信仰の先祖たちに約束を与え、その約束通りに成し遂げ、自分が誰であるかを現されました。神様はアブラハムに、「あなたの土地とあなたの親族を離れ、私があなたに示す地に行け」と言われました。そして、今ユダヤ人たちの住んでいる場所を、足の踏み場となるだけのものさえもアブラハムに与えませんでしたが、この地を彼とその子孫に与えることを、神は約束されました。また、神様はアブラハムに割礼の契約をお与えになりました。神様はこのように、信仰の先祖アブラハムに約束を与え、ご自分を現されました。
 神殿と律法が存在する前、神様は、異邦の地にいた信仰の先祖たちにあらわれ、契約を与えました。契約というのは、相手と関係を結ぶものです。信仰の先祖たちと契約を通して関係を結んだ神様は、神殿と律法を通して、イスラエルの民たちとさらに関係を深く結ぶことを願われました。しかし、イスラエルは神様との関係よりも目に見える神殿と律法に縛られ、神様を見上げなくなりました。このように、場所や律法に縛られてしまうと、神様との関係は薄くなり、イエス様を死なせる十字架の仇となります。これがユダヤ宗教指導者たちの姿でした。神様は、今日も約束を通して選んだ人と関係を結び、ご自分を現されます。この神様の約束を心に刻んで生きる時、栄光の神様に出会う体験ができます。


適用:神様が私に願われることは何ですか

一言:親密な関係性            



2019年 03月 23日 (土)

使徒の働き7:17-38(35)
モーセをお遣わしになった神様

 神様がアブラハムにお立てになった約束の時が近づくにしたがって、民はエジプトの中にふえ広がりました。しかし、ヨセフのことを知らない別の王が即位しました。この王はイスラエルの民たちを苦しめて、幼子たちを死なせました。この時に、モーセが生まれました。彼は神様の目にかなった、可愛らしい子でした。彼の父母は彼を三か月の間、密かに育てましたが、ナイル川に捨てました。ところが、捨てられたモーセをパロの娘が拾い上げ、自分の子として育てました。モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも力がありました。彼は、自分を通して神様が兄弟たちに救いを与えようとしておられることを、皆が理解してくれるものと思っていましたが、そうではありませんでした。モーセは自分が民たちを救えると思い、エジプト人を殺しました。そのせいで、彼はミデアンの地に逃げて身を寄せ、四十年を過ごしました。彼は、自分がイスラエルの民たちを救えるとは、もはや思いませんでした。しかし、神様は彼を訪ねて来られました。神様はモーセに、私はあなたの父祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神であると教え、エジプトにいる私の民の苦難を見、そのうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために、あなたをエジプトに遣わす、と言われました。イスラエルの民たちをエジプトの地で、紅海で、また四十年間荒野で、導くのがモーセです。
 モーセが、自分は民たちを救えないと思った時、神様が彼を訪ねて来られ、民たちを救う御業に用いられました。これを通して、イスラエルを救うのは、モーセではなく、神様であると教えられました。自分ができると思う時、モーセは人を死なせるしか出来なかったのです。自分ができると思う人は、神様に頼りません。私にはできないと思う時、神様に頼り、神様を現わす人になります。


適用:自分ができると思いますか

一言:神様がなされる



2019年 03月 24日 (日)

使徒の働き7:39-60(51)
心と耳とに割礼を受けていない人たち

 エジプトから出てきたイスラエルの民たちは、神様がお立てになったモーセに従いませんでした。かえって、子牛を作り、それに供え物をささげ、星を敬いました。神様はイスラエルの民たちにあかしの幕屋を与え、その幕屋を通して神様に仕えるようにさせました。そして、ソロモン王の時代には神殿を造ることをお許しになられました。しかし、神様は手で造った家にはお住みにはなりません。なぜなら、神様はいと高き方だからです。イスラエルの民たちは、続けて神様に逆らい、神様に帰ってくるように悔い改めるメッセージを伝える預言者たちを迫害し死なせました。それだけでなく、キリストさえも死なせました。その理由は何ですか。彼らは、かたくなで心と耳とに割礼を受けていないからです。心と耳に割礼を受けていないとは、自分の肉の思いのままに、自分の都合の良いままに御言葉を聞いたり聞かなかったりしているということです。自分の肉の心、肉の耳を御言葉の剣で切り取ることをしないので、キリストの助けも、愛も、赦しも味わえない信仰生活をしています。議会員たちは、 律法を誇り、表では神様に仕えているようでしたが、実際には高慢な心で神様の御言葉を受け入れませんでした。神様の御言葉を聞いて、心に刻む為には、自分の考えを切り捨てる痛みが伴いますが、彼らはこれを拒みました。それで、彼らは、神様の御言葉を伝えるステパノに石を投げつけて、殺してしまいました。
 ステパノを死なせた議会員たちは、信仰人ではなく、心と耳とに割礼を受けていない宗教人に過ぎません。彼らは、御霊に逆らう生き方をしました。彼らは、イエス様を死なせ、ステパノをも死なせました。謙遜な姿勢で心と耳とに割礼を受けないなら、神様に仕えているように見えても、実際には自分の有益を追って生きているだけの宗教人になります。彼らは、神様を裏切り、神様の人を迫害します。悔い改めて心と耳とに割礼を受けるなら、御霊に満たされるようになります。いのちを殺す人ではなく生かす人となれます。


適用:御霊の導きを受けようとしますか

一言:心と耳とに割礼を受けなさい


<<(1)    前のページ(6)    7    次のページ(8)    (28)>>

聖書別日ごとの糧