聖書別日ごとの糧   >>   使徒の働き[2019]

2019年 04月 02日 (火)

使徒の働き11:1-18(17)
どうして私などが

 コルネリオの出来事の後、エルサレムの割礼を受けた者たちがペテロを非難しました。「割礼のない人々のところに行って、彼らといっしょに食事をした。」彼らは、ユダヤの選民意識に縛られ、異邦人は一緒にいることのできない汚れた存在だと考えていました。ペテロは彼らに、神様が自分に行なわれたことを詳しく証ししました。神様は、汚れた獣で満ちた大きな敷布のような入れ物の幻を見せてくれました。拒むペテロに、三度も、「さあ、ほふって食べなさい。」と命じられました。その後、コルネリオが遣わした人々が来て、聖霊に、「ためらわずにその人たちといっしょに行くように」と言われました。神様は、すでに、天の御使いを通して、コルネリオにペテロを招くように、と言われました。ペテロが自分でコルネリオの家に行ったのではなく、神様が導かれました。ペテロが神様の導きを受け入れ、イエス・キリストについて証しした時、驚くべきことが起こりました。聖霊が彼らの上に臨まれました。それは、五旬節に弟子たちに臨まれた御業と同じものでした。神様は、異邦人たちにも聖霊の賜物をくださいました。
 ペテロは言いました。「どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」ペテロは、イエス様の一番弟子であり、使徒の中の代表です。このような彼でも、神様がなさる御業を妨げることはできません。神様は、全ての人が救われる御業を成し遂げようとされます。そのために、異邦人たちにも聖霊の賜物をくださいました。ペテロは、神様の御旨にただ、「アーメン」と言って、従いました。ペテロを非難していた割礼を受けた人々は、神様に栄光をささげ、異邦人たちにも、いのちを得させる悔い改めをくださったことを認めました。神様がなさる御業は、時には、私たちの既成概念を乗り越えます。しかし、ここには、神様の絶対的な主権と良い御心があります。既成概念と自分の考えに縛られ、神様が行なわれる御業を拒んではいけません。殻を破り、神様のみ旨を受け入れ、従わなければなりません。私たちは神様を妨げることはできません。


適用:神様の御旨に、どんな姿勢を持っているのか

一言:受け入れと従順



2019年 04月 03日 (水)

使徒の働き11:19-30(26)
キリスト者と呼ばれるようになった

 本文は、キリスト者、すなわちクリスチャンの起源がどこから来たのかについて教えてくれます。ステパノの殉教後に起きた迫害によって散らされた人々が、アンテオケまでも進んで行って、ギリシャ人にも、主イエス様のことを宣べ伝えました。当時のギリシャ人は、先進文化人としての自負心を持ち、哲学、文化や娯楽の世界に生きていました。しかし、福音が彼らに宣べ伝えられた時、どんなことが起きたのでしょうか。数多くの人々が信じて、主に立ち返る御業が起こりました。これは、コルネリオ一家から始まった異邦人の救いの御業が本格化したことを教えてくれます。神様は、エルサレムの迫害を通して、ユダヤを越えてサマリヤと、地の果てにまで、福音が広がるようにされました。すでにユダヤ主義という狭い心を脱いだエルサレム教会は、アンテオケの知らせを受けて、バルナバをそこに送りました。立派な人で、聖霊と信仰に満ちていたバルナバによって、さらに大勢の人が主に導かれました。これによって、異邦人最初の教会、アンテオケ教会が誕生しました。バルナバは、驚くべき成長を見せるアンテオケ教会に、共に仕えようと、タルソにいるサウロを連れて来ました。二人は力を合わせて、アンテオケ教会で一年間、大勢の人たちを教えました。
 これによって、アンテオケ教会にどんな御業が起こりましたか。弟子たちが人々から、キリスト者と呼ばれるようになりました。キリスト者とは、「キリストに属している者」という意味です。その当時は、キリストに狂っている、という嘲笑的なニュアンスが含まれていました。人々が狂っていると言うほどに、彼らの人生は全てキリストに集中していました。彼らは、集まれば、キリストを賛美し、ただ、キリストの御言葉に従って生きようとしました。今日のクリスチャンは、教会に通っているだけで、クリスチャンと呼ばれます。しかし、本当のクリスチャンは、心の中心にキリストをお迎えした人であり、徹底的にキリスト中心の生活をしている人です。その名前にふさわしい生活をする時、私たちは本当のクリスチャンと言われます。


適用:クリスチャンと呼ばれるのに、ふさわしいのか

一言:クリスチャンらしい生活


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