聖書別日ごとの糧   >>   使徒の働き[2019]

2019年 08月 06日 (火)

使徒の働き15:1-21(9)
何の差別もつけず

 福音が異邦人に伝わると、ユダヤの信者のうち、ある人々は、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」(1)、「モーセの律法を守ることを命じるべきである。」(5)と主張しました。彼らは、なぜこのように考えたのでしょうか。割礼は神様の民のしるしなので、救いを受けたのであれば、当然割礼を受けなければならず、割礼がなければ、神様の民とは言えない、と言うのです。律法に従っていない異邦人は、でたらめな信仰生活をしていると考え、神様を恐れ敬う姿勢として、認めることができませんでした。
 しかし、神様は、ユダヤ人と異邦人を差別されませんでした(9)。割礼と律法が、救いに、どんな助けとなるでしょうか。律法があるユダヤ人の罪は簡単に洗い流され、律法のない異邦人の罪は、イエス様の血がさらに必要となるのでしょうか。罪人には、救いが足りない人、重い罪人、軽い罪人、救いようのない罪人、という区別はありません。「私のほうがましだ」、「お前のほうがひどい」と言うことができないのです。みな、死ぬべき罪人にすぎません。違いがないので、神様も差別されませんでした。ユダヤ人もギリシャ人も、同じように、イエス様の恵みによって救いを受けました(11)。ユダヤ人もギリシャ人も同じように救いが必要でした。救いは、「恵みによって」資格のない人々に与えられたイエス様からのプレゼントです。それで、救いを受けるために、割礼を受けたり、律法を守ったりする必要がありません。割礼を受けなければならないのなら、イエス様の十字架は無駄であり、恵みが否定されます。そもそも、律法はユダヤ人も負いきれなかったくびきでした(10)。自分たちも負いきれなかったのに、異邦人たちに、きちんとくびきを負って、救いを受けろと要求することは、自分をだますことです。ペテロは、律法のくびきが負えなかったことを正直に告白しました。これが真実です。すると答えが出ます。そうすれば、正しい方向をつかむことができます。使徒と長老と全教会はヤコブの提案に従って、異邦人たちに、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血を避けるように、と要求しました。ユダヤ人も異邦人も、同じように、ただ主イエス様の恵みだけで救いを受けました。それで十分であり、それで完成です。


適用:不要なくびきを負っていますか

一言:ただ、主イエス様の恵みによる救い



2019年 08月 07日 (水)

使徒の働き15:22-41(39)
パウロとバルナバの争い

 エルサレム教会が、ギリシャの信者たちに律法のくびきを負わせないことを決定したので、アンテオケ教会は喜び、ますます伝道に力を入れました。パウロとバルナバは、以前伝導した町々に行って、兄弟たちに仕えようとしました(36)。バルナバはマルコを連れて行こうとしましたが、パウロは、反対しました。マルコは一次伝道旅行の時に、パンフリヤで使命を放棄し、エルサレムに行ってしまいました。伝道旅行は熾烈な霊的な戦いです。「大変だ」と言って、一人が離れるなら、残った人々の士気が下がります。マルコのせいで、しばらくの間、雰囲気が沈んでしまいました。ところが、マルコは霊的に回復されて、アンテオケに戻って来て、再び伝道旅行について行こうとしました。
 宣教の側面からは、マルコの同行は、利益よりも損失が多かったと言えます。ただでさえ宣教が難しいのに、マルコのことまで担わなければならず、途中で再び離れてしまうのなら、その影響は大きいからです。パウロは、宣教に重きを置きました。慰めの人であったバルナバは、ゆずりませんでした。慰めは、人を生かそうとする気持ちから出て来ます。バルナバは、マルコが初めは失敗したものの、もう一度機会を与え、今度は使命を全うできるように助けようとしました。バルナバは、伝道だけでなく、マルコを立てることにも重きを置きました。バルナバとパウロのうち、どちらが正しく、どちらが間違っているか、ということではありません。パウロは宣教に重きを置いていたので、多くの教会を建て、後に、アテネ、コリント、ローマにまで至りました。バルナバはマルコを連れて、キプロスに行きました。後に、アレキサンドリヤに行って、キプロスに戻り、殉教したと伝えられています。宣教した地域は広くありませんが、バルナバの慰めによって失敗を克服したマルコは、後にパウロがローマ宣教をする時、その同労者になりました(コロ4:10)。また、パウロが最後の時に、至急必要となり、呼んだ人になりました(2テモ4:11)。福音を伝える方法は違うこともあります。従って、争うこともあります。しかし、結局すべてが主には有益です。二人が別れたことで、バルナバはマルコを回復させ、パウロは宣教を大きくしました。神様は、一人一人の個性と賜物によって、用いられます。
適用:争って、落胆していないでしょうか


一言:もっと良くしてくださる


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