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2019年 08月 14日 (水)

使徒の働き19:1-20(9)
ツラノの講堂での御業

 パウロの三次伝道旅行は、エペソのツラノの講堂で、 三年の間、集中的に御言葉を教えた御業です。アポロがコリントにいた時、パウロがエペソに来ました。そこの十二人ほどからなる弟子たちは、ヨハネのバプテスマだけを知っていました。彼らは、ヨハネが証ししたイエス様を知りませんでした。パウロは彼らにイエス様を証しして、主、イエス様の御名によって、バプテスマを授けました。それで、聖霊が臨まれ、異言を語ったり、預言をしたりしました。ヨハネのバプテスマを通して、罪の赦しを受け、罪と戦うことも大切なことですが、ここにだけとどまるなら、禁欲的で、道徳的な信仰生活となり、自由と喜びがありません。出来なければ罪意識が生じ、出来ると、自己義が生じます。悔い改めることにためらわずに、イエス様を信じて、完全な罪の赦しと自由と聖霊の恵みと喜びの中に留まっていなければなりません。聖霊が臨まれて、異言や預言をする場合もありますが、このようなことは、聖霊で満たされることの、必然的な結果ではありません。イエス様のバプテスマを受けた者たちが、普遍的に期待できる実は、内面の平安と、愛で満ちた生活です。
 ツラノ講堂の御業の特徴は、誹謗してくる群衆から離れ、弟子たちを別に立てて、二年の間、毎日論じ、主の御言葉が盛んになり、勢いを得た、ということです。 アジヤに住む者はみな、主の御言葉を聞いて、イエス様をキリストとして信じるようになり、病気が去り、悪霊が出て行き、魔術師が悔い改める、という神様の力ある働きも実際に起こりました。 小さな群れが本質に満ちる時、外部の人が関心を持つようになり、訪ねて来るようになります。 心がかたくなで、聞こうとせず、公の場で誹謗してくる人々と争わずに、無理して彼らを弟子にしようともせず、謙遜に主の御言葉を聞いて、従おうとする弟子たちを別に立てて、ひたすら主の御言葉を教えたこと、これがツラノの講堂での御業です。 それで、このような御業もありますが、信じずに誹謗する人々に、牧者の心情をもって、長い時間、仕えなければならない場合も、もちろん多くあります。


適用:信じない人々は何を見て、主に出て行くのでしょう

一言:弟子と御言葉



2019年 08月 15日 (木)

使徒の働き19:21-41(21)
ローマも見なければならない

 パウロは、ツラノの講堂の大きな福音の御業の後、安逸に陥りませんでした。マケドニヤとアカヤを経て、エルサレムに行くことにし、そこに行ってから、ローマも見ようとしました。必ずローマを訪問し、彼らにも福音を伝えて、霊的な祝福を分けようという強い意志があり、全ての人に、神様の救いが臨むようにするという世界宣教のビジョンがありました(ロマ1:9-16)。イエス・キリストの福音は救いを得させる神の力であり、人生の本当のビジョンを見せてくれる、真理のしもしびです。今日、世の中は、巨大なローマのようです。ところが、ローマも必要とします。今日、この素晴らしく巨大な世界も救いが必要です。言い伝えによれば、ローマに行くイエス様にペテロが尋ねたそうです。「主よ、どこに行かれるのですか。」(ドミネ・クオ・ヴァディス?)。するとイエス様は、もう一度十字架にかかるために、ローマに行くと答えられたそうです。それで、ペテロは賛美して、ローマに戻り、殉教して、苦難を受けるローマの聖徒たちを激励しました。このように、「ローマも見なければならない。(21)」というパウロの言葉は、ビジョンの言葉でありながら、苦難の言葉でもあります。この苦難のために、救いといのちの御業が起こります。
 デミテリオの出来事は、エペソ開拓の最後の話です(23-41)。デミテリオは、アルテミスの女神の神殿像を作って売り、豊かに生活していましたが、人々がアルテミスを捨てて、イエス様を信じると、商売ができないと怒りました。それで、偶像の製作者たちを扇動して、パウロとその同行者たちを営業妨害の罪で糾弾する不法集会を開きました。彼らは劇場で、二時間もの間、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」と叫び、騒ぎました。
 福音は、既存の文化と経済の秩序に影響を及ぼします。騒動が起きても、間違ったものは捨てて、正しいものを立てることで、正しい文化と経済の秩序を立てて行かなければなりません。福音は世を騒がせますが、結局は治癒します。


適用:パウロの福音伝道に対する情熱はどんなものでしょうか

一言:ローマも


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