聖書別日ごとの糧   >>   使徒の働き[2019]

2019年 10月 01日 (火)

使徒の働き20:1-12(12)
 人々は慰められた

 パウロは、マケドニヤ地方で、兄弟たちを励ましました。パウロは新しい羊たちに福音を宣べ伝えるだけでなく、弟子たちを堅く立たせることも大事にしました。ギリシャで三か月を過ごした後に、パウロはシリヤに向かおうとしましたが、ユダヤ人の陰謀のため、マケドニヤを経て帰ることにし、トロアスに行きました。
 週の初めの日に、パンを裂くために集まった人々とパウロは、語り合いました。翌日出発することにしていたパウロでしたが、なんとかより多くの人々に御言葉を伝えたいと夜中まで語り続けました。そのとき、ユテコという青年が、三階から落ちて死んでしまいました。人々は、相当驚いたことでしょう。神様の御言葉を聞いている時に、窓から落ちて死んでしまうとは、神様は一体何をしておられたのだろうか、と落胆したかもしれません。パウロは降りて行き、彼の上に身をかがめ、抱きかかえました。死んだ青年にいのちを与え、神様の栄光を現してくださるようにと祈ったかもしれません。パウロは「心配することはない。まだいのちがあります」と言って、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発しました。
 死んだユテコは生き返りました。神様は御言葉を語る中で起きた危機を、神様の栄光を現すものに変えられました。人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められました。復活の生命力溢れる神様を体験することができました。しばらくの驚きと悲しみは、より大きな喜びと慰めに変わりました。神様は慰めの主です。私たちの人生のなかで、または、主の御わざに仕えるとき、突然、驚きと悲しみに遭うときがあります。どうすればいいのかわからず、目の前が真っ暗になるときがあります。しかし、神様はそのとき、神様の栄光を現し、私たちを慰めてくださいます。


適用:予期せぬ悲しみに遭っていますか

一言:神様の慰めがあります



2019年 10月 02日 (水)

使徒の働き20:13-24(22)
 いま私は、心を縛られて

 使徒パウロは、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたいと思い、エペソには寄港せずに行くことにしました。パウロは、直接寄ることができなくても、なんとかエペソ教会に仕えようとしました。それで、ミレトからエペソに使いを送り、教会の長老たちを呼びました。彼らと、今後二度と会えないことを覚悟して、お別れのメッセージを伝えました。
 パウロは、彼らと自分がエペソでの3年間をどのように過ごしてきたかを振り返り、また自分の心境についても語りました。パウロは、どんな試練の中でも主に仕えました(19)。彼の牧者人生は、主に仕える人生でした。主のしもべであるから、エペソで仕え、羊たちに仕えました。羊たちに教え、仕えることは、彼にとっては、主に仕えることでした。また、パウロは、「心を縛られて」いると言っています(22)。原語では、「霊に縛られて」となっています。つまり、キリストの霊である聖霊に縛られていたということです。それなので、聖霊がどの町でもパウロにはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが自分を待っていることを知っても、パウロは恐れませんでした。彼は、自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いませんでした。彼がそのように思えたのは、霊に縛られていたからです。彼が人一倍勇気のある人、あるいは特別な人だったので、偉大な使徒パウロになったのではありません。彼が霊に縛られて牧者人生を歩んだからなのです。聖霊は、私たちに力を与えて下さいます。正しい道を歩む勇気を与えて下さいます。私たちも、御霊によって歩むなら、決して肉の欲望のままにではなく、イエス様から与えられた尊い使命の人生を歩めるようになります。(ガラ5:16)


適用:あなたの心は何に縛られていますか

一言:霊に縛られて



2019年 10月 03日 (木)

使徒の働き20:25-38(28)
 気を配りなさい

 パウロのお別れのメッセージの続きです。ここでは、エペソ教会の長老たちに対するお願いの言葉を伝えています。長老たちとは、エペソ教会の人々に仕えるべき責任のある牧者たちのことです。彼らに、パウロは何よりもまず、「気を配りなさい」と言います。何が起こっているかを常に確認し見守っていなさい、という意味です。まずは、牧者が自分自身の心がどうなっているのかを常に確認すべきです。霊的指導者がつまずくなら、羊の群れも危険にさらされます。聖霊が立てられた群れの監督者は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧するために、主の御心、御旨がどこにあるのかにいつも気を配り、いつも覚えていなければなりません。
 パウロは、自分が出発したあと、狂暴な狼が彼らの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、知っていました。さらに、エペソ長老たちの中からも、み言葉を曲げて伝え、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。エペソの長老たちは、パウロが三年の間、夜も昼も、涙とともに彼らひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出さなければなりません。パウロが伝えた福音を覚えるとき、狂暴な狼から羊たちを守ることができるのです。そして、パウロが仕えた姿勢で羊たちに仕えるべきです。いまパウロは、彼らを神とその恵みのみ言葉とにゆだねました。み言葉は、彼らを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができる、と信じました。御言葉は信仰の礎です。ただ御言葉だけが私たちを堅く建てます。今日も様々な惑わしの思想がはびこっています。教会に巧妙に入り込んできて、羊たちを惑わしています。こんな時代の牧者である私たちが、一番先に気を配るべきです。目をさまして、注意を払って気を配ることで、私たち自身を守り、羊の群れを守るべきです。


適用:注意を払って気を配っていますか

一言:自分のため、羊の群れのため


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