聖書別日ごとの糧   >>   使徒の働き[2019]

2019年 10月 04日 (金)

使徒の働き21:1-16(13)
 縛られることばかりでなく、死ぬことさえも

 パウロは、エペソ教会の長老たちと涙の別れをしてから、ツロに上陸しました。そこで弟子たちを見つけ出し、そこに七日間滞在しました。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告しました。しかし、パウロは、船に乗り込み、カイザリヤに着き、伝道者ピリポの家に入って、そこに滞在しました。そのとき、アガボという預言者がユダヤから下って来ました。彼は世界中に大ききんが起こることを預言した人でした(使徒11:27,28)。彼は、パウロがエルサレムに行くとどうなってしまうのかを預言しました。これを聞いて、周囲の人はみな、パウロに、エルサレムには上らないよう頼みました。彼らは、パウロが危険に陥らないようにと涙をもって願いました。同労者たちの預言と涙の願いに対し、使徒パウロは何と答えましたか。
 パウロの覚悟は堅いものでした。「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」と答えました。彼の人生の目的は、ただ主イエス・キリストの御名のために生きることでした。主イエスの御名のためなら、縛られることも、死ぬことさえも覚悟していました。主イエスのためなら、苦難も恐れず、いのちも惜しみません。死が待っている地であっても歩き続けます。主イエスの御名のために生きるとき、私たちも苦難に会います。羊たちに福音を宣べ伝えるとき、反対もされたり、裏切られたりもします。訴えられる時もあるでしょう。主イエスの御名のために縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟したパウロに学ぶべきです。そんな覚悟で苦難に打ち勝ち、使命を果たすべきです。


適用:主イエスの御名のためにどんな覚悟がありますか

一言:死ぬことさえも覚悟しています



2019年 10月 05日 (土)

使徒の働き21:17-36(26)
 身を清めたパウロ

 エルサレムには、パウロに反感を持つユダヤ人たちが多くいました。パウロが、モーセに背くように異邦のユダヤ人に教えているといううわさを聞いたからです。律法に熱心だったユダヤ人たちは、パウロが来たことを知ったら、ただでは済まないだろうことは明らかでした。そのとき、誓願をたてていた四人がいました。彼らは身を清めなければなりませんでした。パウロは律法と慣習が救いをもたらすことはできないと知っていました。しかし、教会の指導者たちの提案を受け入れました。パウロはその人たちを引き連れ、翌日、ともに身を清めて宮に入り、清めの期間が終わって、ひとりひとりのために供え物をささげる日時を告げました。
 なぜパウロはこのようにしたのでしょうか。Ⅰコリ9:20「ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。」パウロは、何とかして人を救おうとしました。そのためには、自分の考えやスタイルにはこだわりませんでした。主イエス以外のすべてを譲りました。私たちも、福音だけは決して譲ることはできませんが、羊たちの救いのためなら、自分の考え、スタイルを捨てることができなければなりません。自分のことにこだわってしまい、羊たちを傷つけ、教会の和を壊し、救いの御わざを止めてはいけません。
  ところが、アジヤから来たユダヤ人たちが、パウロが宮にいるのを見ると、全群衆をあおりたてて、パウロを捕らえ、宮の外へ引きずり出し、殺そうとしました。しかし、神様がローマ軍の千人隊長を用いて、パウロを救ってくださいました。私たちがどんなに最善をつくしても、誤解を解こうとしても、最後まで誤解をする人もいます。彼らの迫害は受け入れるしかないのです。


適用:自分の考えにこだわりますか

一言:いのちを救うために、自分の考えにこだわるな



2019年 10月 06日 (日)

使徒の働き21:37-22:16(16)
 自分の罪を洗い流しなさい

 パウロは、自分が体験した素晴らしい救いの事件を、自分を殺そうとするユダヤ人たちに証ししました。パウロがこれを証しする理由は何でしょうか。パウロは正統的なユダヤ人でした。律法の厳格な教育を受け、信者たちを迫害することは罪であるとは考えていませんでした。むしろ、神に対して熱心であると思っていました。ところが、イエス様に出会ってから、神の御子を迫害し、敬虔な信者たちを縛り上げ、牢で死なせてきた自分は、神様の御旨に逆らっていたことを知りました。彼は、神に対して熱心な者ではなく、神に敵対することに熱心な者でした。彼は重い罪を犯しました。しかし彼はイエス様に出会い、その御声を聞き、この事実に気づきました(14)。主の御名を呼ぶ者はだれでも罪の赦しを受けることができます。それで、パウロは立ち上がり、主の御名によって、バプテスマを受け、罪を洗い流しました。
 パウロは、自分を殺そうとするユダヤ人に、「さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい」と言っています。パウロは、自分を殺そうとしている彼らが、神様の御旨を知り、主イエス様の元に帰ってくることを願っています。


適用:福音を妨げる人々にどのように接するべきでしょうか

一言:善で悪に勝ちましょう


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