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2019年 10月 10日 (木)

使徒の働き24:1-27(27)
 パウロを牢につないだままにしておいた

 エルサレムに向かったパウロには大事な祈り課題がありました。「そこに行ってから、ローマも見なければならない」(19:21)ということでした。ところが、パウロはローマに行くどころか、むしろ大祭司アナニヤによってぺリクス総督の前で訴えられてしまいました。ペリクス総督は、パウロにどんな不正も見つけられませんでしたが、パウロから金をもらいたい下心があったため、牢につないだままにしておきました(27)。そのような状態で2年が過ぎ、総督もフェストに変わりました。パウロは聖霊に導かれるままに、アジヤ、マケドニヤ、アカヤに福音を伝えました。そして、ローマも見ようとしました。聖霊が働かれる方向とパウロが行こうとしている方向が一致しています。パウロは今まで一つの方向に向かって走り、これからも一つの方向に向かって進もうとしています。そうするなら、スムーズに進むと思いがちです。しかし、パウロは2年も牢につながれたままでした。パウロは一日でも早く、ローマに行きたかったのですが、足は鎖につながれていました。
 神様が喜ばれること、願っておられることであっても、このように塞がれてしまうことがあります。パウロとしてはもどかしさを感じたはずです。しかし、そこには神様の深い意図があったのでしょう。「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです」というⅡコリント人への手紙12:10の御言葉のように、パウロの弱さを現し、より強くするためだったのかもしれません。パウロがこのような過程を経てローマに着いたことで、事の主人は自分ではなく、神であることを深く悟ったことでしょう。それで、主である神様だけを信じ頼り、主がどのように導いても、ただ主に感謝するのみであるという信仰を持つようになったことでしょう。どんな状況の中でも、主を信じて喜びをもって最善を尽くすこと、喜びをもって受け入れることが何よりも大切です。今、自分がいるところで、最善をつくすこと、その人生こそ、美しいのです。


適用: 思ったようにものごとが進まずもどかしいですか

一言:つながれたままの中でも、神様の御旨があります


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