聖書別日ごとの糧   >>   使徒の働き[2019]

2019年 10月 12日 (土)

使徒の働き 26:1-23(7)
この希望のために

 パウロはアグリッパに、ユダヤ人が自分を告発した理由を言いました。それは、イスラエルが長い間待ち望んでいた「この希望」、即ちメシアがナザレのイエスだと自分が証ししたからでした。ユダヤ人とパウロは同じ希望を持っていますが、その希望が誰なのかに対する考えが違いました。パウロは「この希望」が即ちナザレ人イエスであることを確信しました。この確信は、まず、彼自身の体験から出たものでした。彼は過去パリサイ人でユダヤの風習を厳格に守り、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えていました。つまり、多くの聖徒を牢に閉じ込め、死に追い込んで、罰を与え、信仰を否定させました。また、怒りに燃えて外国にまで行って聖徒たちを迫害した者でした。そのような彼が、今はイエス様を証する人になったのです。 主は、パウロがイスラエルと異邦人に対し主の御名を証しして、彼らが闇から光へ、サタンの権威から神様へと戻り、罪の赦しを受けて聖なる信徒になる御業の器として用いられると言われました。このように、イエス様の以前の敵対者がイエス様の証人となったこと、 天からの光の中で復活したイエス様の声と出会った体験は、イスラエルの希望であるメシアがナザレ人イエスであることを示す証拠となりました。パウロはこのことをアグリッパ王に話してイエス様を証ししました。この希望のために、その御名のために、自分がユダヤ人に迫害されて告訴されたことを言いました。彼が貧富貴賎を問わず、証することは、預言者たちとモーセが必ず起こると預言したものだからです。苦難と復活のキリストがすべての人の光となられるからです。イエス様は、罪の赦し、復活、光、預言と成就など、真の希望の条件を満たしているお方です。


適用:イエス様が真の希望だという明らかな理由を持っていますか

一言:イエス様は私の希望



2019年 10月 13日 (日)

使徒の働き 26:24-32(26)
王に対して率直に申し上げているのです

 パウロは王と総督の前でイエス様の苦難と復活を証明し、イエス様こそキリストであることを証ししました。イエス様を信じて闇から光へ、悔い改めてサタンの権威から神様のもとへ、悔い改めにふさわしい行いをするように宣べ伝えました。しかし、フェストは大声を出し、パウロの博学が彼を狂わせたと言いました。パウロはびくともしませんでした。自分は狂っているのではなく、まじめな真理の言葉を話していると大胆に言いました。さらにアグリッパ王にも福音を伝えました。アグリッパは、わずかなことばで自分をクリスチャンにしようとしていると思い、パウロの言葉を拒絶しましたが、パウロは退きませんでした。王とすべての人が自分のようになることを神様が願っておられると言って、悔い改めと信仰を促しました。これで王と総督と座ったすべての人々は、パウロが死や投獄に相当する理由はないとし、彼の無罪を知りました。
 パウロは、相手が王であっても総督であっても、ユダヤ人であっても異邦人であっても、同じように、イエス様はキリストであることを信じるように大胆に言いました。彼は囚人の身で、鎖に縛られたまま尋問されていましたが、むしろ世の権威者たちを霊的に尋問しました。彼らが罪と死、悪魔の鎖から解放されて自由になることを促しました。彼は自分の言い訳の機会をイエス様の証しの機会とし、自分の救いの機会を他人の救いの機会としました。彼は世の権威にひるまず大胆にイエスの名前を叫んだ真の福音の証人であり、真の自由人でした。一方、聖霊を通してこれにより世の権威者たちにも福音が証されました。弟子たちは、福音を証しする中で、総督と王たちの前に連れて行かれるでしょう。しかし、これは、彼らにも福音が証されるためでした(マタイ10:18)。神様は、世の権威者たちをも憐れまれる万民の主であられます。福音は貧富貴賎を問わず、誰にでも必要な普遍的な救いの知らせです。


適用:世の権威者たちにも大胆に福音を伝えますか

一言:誰にでも必要な福音


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