聖書別日ごとの糧   >>   ローマ[2001]

2001年 02月 02日 (金)

ローマ人ヘノ手紙1:1-17
御名のために

Ⅰ.神の福音のために(1-4)
 パウロはまず自分を「キリスト・イエスのしもべ」と紹介しています。「しもべ」とは主人に絶対的に服従し、忠誠し、献身する者です。次に彼は自分を「使徒として召された者」として紹介しています。たとえ、自分の身分はキリストのしもべであっても彼が担う使命は福音のために神様から遣わされた使徒です。「福音」とは神様の御子キリストに関することです。この福音はある日偶然に作られたものではなく、神様が預言者たちを通して、聖書において前から約束されたものです。神様の御子イエス・キリストは肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中から復活されました。このイエス様はサタンの力を打ち破り、私たちを罪と死から救い出されるキリストです。私たちはこのイエス様を証しするために選ばれました。
Ⅱ.恵みと使徒の務め(5-7)
 「このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためなのです。」(5)過去、罪の奴隷であったパウロはイエス様から一方的に罪が赦される恵みを受けました。パウロと同じく罪が赦された恵みを体験した者たちは生の目的と方向が変わります。もはや自分のために生きるのではなく,イエス様の御名のために生きるようになります。また、あらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらす使徒の務めを果たすようになります。

祈り:主よ!私を罪と死から救われ,使徒として選ばれたことを心から感謝します。これから主の御名のために生きます。

一言:御名のために



2001年 02月 03日 (土)

ローマ人ヘノ手紙1:16-17
義人は信仰によって生きる

Ⅰ.すべての人を救う神様の力(16)
 当時、多くの人々は十字架の福音を恥と思っていました。しかし、パウロは福音を恥とは思いませんでした。むしろ誇りました。なぜなら、福音は信じるすべての人にとって救いを得させる神様の力だからです。世のどんな哲学も救いに対する確かな道を提示することができません。ただ、イエス様の福音だけが明確な救いの道を提示してくれます。イエス様の福音だけが私たちを罪と死から救う力を持っています。福音の力は罪のために苦しんでいる人を変化させて新しい人にさせます。福音の力は堕落した世界を変化させて祭司の国にしてくれます。
Ⅱ.義人は信仰によって生きる
 義なる神様は罪の中にいる人々をさばかれませんでした。その代わりにイエス様を十字架上で贖いの代価として死なれるようにされました。それによって神様はご自分の義を表わされ、ご自分の御前に出てくるすべての人々を義と認める契機を作られました。罪のために正しくない私たちもイエス様によって神様の御前で義と認められるようになりました。ですから、私たちは信仰によって生きるべきです。「信仰によって生きる」というのは私たちがイエス様によって救われたというその信仰によって生きることです。私たちは何をしてもこの世と調子を合わせて生きるよりイエス様に頼る信仰によって、ただ、信仰によって生きなければなりません。初めから終わりまでただ信仰によって生きなければならないのです。

祈り:主よ!私が福音を恥と思わないで福音の力を堅く信じます。初めから終わりまでただ信仰によって生きます。

一言:ただ、信仰によって生きる



2001年 02月 04日 (日)

ローマ人ヘノ手紙1:18-23
意図的に神様を排斥した人々

Ⅰ.神様を故意に排斥した人々(18-20)
 不義をもって真理をはばんでいる人々は神様の怒りから免れることができません。神様はすべての人々に神様について知りうる先天的な知識を与えて下さいました。ですから「ボクは神様について学んだことがないから神様を知りません」と言うなら、それは故意に神様の真理をはばむことです。人はまた自然の神秘を通して神様を見ることができます。自然の神秘とそれに現われた神性を見る時、私たちは創造主神様の存在を否認することはできません。ですから、誰でも「神様を知らない」と言い訳を言うことはできません。
Ⅱ.神様に感謝しない者たち(21-23)
 神様は創造主であり、私たちは神様の栄光のために創造された被造物にすぎません。神様は私たち人間にいのちを与えられ,神様のしもべとして世界を治めることができる特権も与えてくださいました。ですから、人間は神様を神様としてあがめ、与えられた恵みを感謝しなければなりません。ところが、罪深い人間は神様を神様としてあがめず、神様の愛と祝福に対して感謝しません。彼らは自分が主人になって生きることを願っています。こんな人たちの思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなります。そして彼らは高ぶり、神様の御怒りを招きます。私たちが神様に感謝せず、故意に神様の真理をはばむなら、神様の御怒りを招くだけです。

祈り:主よ!私がどんな状況の中でも故意に神様を排斥せず、いつも感謝する者であるように守ってください。

一言:神様の怒り



2001年 02月 05日 (月)

ローマ人ヘノ手紙1:24-32
神様に捨てられた人々

Ⅰ.心の欲望のままに生きるようになります(24,25)
 本文の中には「神様が彼らを引き渡された」ということばが繰り返されています(24,26,28)。人が故意に神様を排斥するなら神様は彼らを捨てざるを得ません。人が神様なしに生きるなら、非常に良くなりそうですが、本当は悲劇です。心の欲望のままに汚れに引き渡され、神様の真理を偽りに変えて造られた物を造り主より拝み,仕える偶像崇拝者になってしまいます。
Ⅱ.非正常的であり、乱れたまま生きるようになります(26,27)
 神様なしに生きると、男は男として、女は女としての役割を失い、同性愛者に転落してしまいます。同性愛のように非正常的であり、乱れた行ないは神様の御怒りを積み重ねるようになります。
Ⅲ.腐敗した社会を生み出します(28-32)
 一人の人が神様なしに生きると、その悪い影響は急速に家族と社会に広がり、ついには国家と世界までも至ります。堕落した人々は神様なしに生きても幸せだと思います。しかし、人は神様との関係性が切れるなら、結局は人々との関係性も切れてしまいます。それで、神様がいない世界はあらゆる残酷な犯罪と汚れたことが起こり、無秩序と混沌という罪の悪循環を見ます。

祈り:主よ!神様なしに生きる人生は本当に惨めです。私がいつも主を心の真中に受け入れて生きるように助けてください。

一言:神様を離れては幸福がない


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