聖書別日ごとの糧   >>   ローマ[2001]

2001年 02月 09日 (金)

ローマ人ヘノ手紙3:1-20
神のさばきに服する全世界の人々

Ⅰ.当然罪に定められるのです(1-8)
 ユダヤ人たちは、神様から多くの特権と祝福を受けました。その中で、最も大きな特権は神様の御言葉を任されたことです。神様は、彼らを聖書の先生として用いようとされました。しかし彼らは傲慢になり、イエス・キリストを殺し、神様の御言葉を捨てました。そうしながら彼らは、「自分たちの罪によって神様の善が現れたので当然賞を受けなければならない。」と主張しました。しかしこのように論じる者は当然罪に定められるのです。祝福と特権を受けることも大切ですが、それを担うことはもっと大切なことです。私たちは、恐れおののく姿勢で神様からいただいた祝福を担わなければなりません。
Ⅱ.義人はいない。ひとりもいない(9-20)
 1:18-3:20節の結論は、「ユダヤ人もギリシャ人も、すべての人が罪の下にある」ことと、「義人はいない。ひとりもいない。」ということです(9,10)。罪の下にある人間は神様に従いません。また彼らが使う言葉は淫乱と偽りです。彼らの行ないも悪く残忍です。クリスチャンもノンクリスチャンもみな神様の裁きの前に立たなければなりません。誰も神様の裁きを逃れる人はいません。人には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっています(ヘブ9:27)。

祈り:主よ!私も主のさばきの下にある者であることを告白します。主の御前に出て行きますので、赦し受け入れてください。

一言:義人はいない。



2001年 02月 10日 (土)

ローマ人ヘノ手紙3:21-25
その血による

 人間は自分の力では誰でも神様の裁きから逃れることができません。神様は、このような人々を憐れまれ、救いの手を差し伸ばされました。「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。」(25)神様は私たち人間を罪から救うためにイエス様をなだめの供え物として立ててくださいました。イエス様は神様の子羊として十字架の上で、私たちのためにささげ物になられました。罪の代価は、歴史上、人間が要求するどんな代価よりもさらに大きなものです。神様はひとり子の尊い血を流されることで、私たちの罪の代価を払ってくださいました。かたくなな私たちの罪の代価を払うために一人しかいないひとり子の血を流された神様の恵みは山よりも高く、海よりも深いのです。
 この大きな恵みが私たちに働くためには私たちはイエス様の血の力を信じなければなりません。神様がイエス様の貴い血で払ってくださったことを信じなければなりません。私たちがこれを信じる時、私たちは神秘的な変化を体験します。神様の聖なるものを慕い求めるようになり、神様の愛を体験するようになります。イエス様の誕生によって人類の新しい時代が始まるように、私たちがイエス様の血の力を信じる時、私たちの新しい生活が始まります。

祈り:主よ!主の貴い血によって私を救ってくださり感謝します。私がこの救いの恵みを忘れずに生涯信仰によって生きます。

一言:血の力


<<(1)    前のページ(2)    3    次のページ(4)    (9)>>

聖書別日ごとの糧