聖書別日ごとの糧   >>   ローマ[2001]

2001年 02月 20日 (火)

ローマ人ヘノ手紙8:1-8
肉の思い、御霊の思い

Ⅰ.罪に定めることは決してありません(1-4)
キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません(1)。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、私達を解放したからです。律法は私達を罪と罪による定めの下に置かれます。しかし、神様はその息子を肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されました。それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私達の中に、律法の要求が全うされるためなのです。御霊に従って歩む者は、律法の精神まで守ることができます。
Ⅱ.生命と平安を与える御霊の思い(5-8)
御霊に従うか、そうでないかは、その人の思いを見ると分かります。罪の願いに従う者は、肉のことを考えます。その思いが、常に自己中心的であり、肉の要求を満足させようとします。しかし、御霊に従うものは、常に神様の栄光を考え、神様の恵みを考えます。
私達がどんな考えをするかが、とても大切です。私達は、罪の願いに従って肉の思いをしがちです。しかし、このような肉の思いは、私たちを神様の敵にし、死に至らせます。しかし、御霊の思いは、私達を神様に導き、生命と平安を得させます。思いが運命を決定します。

祈り:主よ、御霊の思いをするのが、なぜ大切であるのかを悟ります。私が常に入ってくる肉の思いを退け、御霊の思いをする者になるように助けてください。

一言:思いを治めよう



2001年 02月 21日 (水)

ローマ人ヘノ手紙8:9-17
神の御霊に導かれる人

Ⅰ.御霊によって、体の行いを殺しなさい(9-13)
私達信者は、キリストの御霊を持った者たちです(9)。キリストの御霊が私達のうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています(10)。すると、私達はどんな死の勢力にも勝ち、美しく能力のある人生を過ごすことが出来ます。また、御霊はイエス様を死者の中からよみがえらせたように、私達の死ぬべき体をも生かしてくださいます(11)。しかし、御霊に従わないで肉の欲に従って生きると、死を招きます。ですから、私達は体の行いを殺し、御霊に従って生きるべきです(13)。
Ⅱ.神の御霊に導かれる人は(14-17)
私達が体の行いを殺し、御霊の導きを受ける時、どんな特権がありますか。“子としてくださる御霊”である御霊は、私たちの中の恐怖の霊を追い出し、神様を“アバ、父”と呼ぶようにし、いつでも愛の父の懐に抱かれるようにします。それだけではなく、神の子として栄光なる神様の人格と生命、神の国など神様のすべてをキリストとともに相続を受ける神様の共同相続人にならせます。なんと、すばらしい恵みなのでしょうか。このように神様の相続人になった人々は、キリストとともにどんな苦難でも喜んで担うべきです。

祈り:主よ、私が御霊に従って行なうことがどんなに大きな特権であるかが分かりました。私が積極的に体の行いを殺し、御霊に従って生きるように助けてください。

一言:御霊に従って体の行いを殺そう



2001年 02月 22日 (木)

ローマ人ヘノ手紙 8:18-25
将来啓示されようとしている栄光

私達は、弱い体でこの世で生きながら病気、迫害によって苦しみ、罪の欲と戦うために、使命を担うために苦難を受けます。時には、生きる望みを失うほど苦難を受けたりもします。しかし、今の時のいろいろの苦しみは、将来私達に啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものです(18)。
では、将来私たちに与えられる大きな栄光とは何ですか。それは、現在の被造物も切実な思いで待ち望んでいるものです。また、罪と律法から永遠の命を得た私たち信者たちもうめきつつ待ち望むことです。
それは、“私たちの体が贖われたこと”です。“体の贖い”とは、イエス様の再臨の時に滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入り、聖なる体に変化することを言います。
その時、私たちはこれ以上罪に陥ることなく、律法と死の勢力に打ち勝って生きるようになります。神の国で完全な自由を味わいながら、主とともに永遠に生きるようになります。これがまさに、私たち信者の究極的な望みです。
私たちは、この望みを受け入れることによって救われました。この望みは放棄できない望みです。私たちは、信仰の人生にどんな苦難があっても、この望みが成し遂げられるまで耐え忍ぶべきです。

祈り:主よ、わたしが主の国が早くこの地に臨まれ、わたちたちの体が贖われ、すべてが回復されることを望みつつ、現在の苦難を担います。わたしの中に、この望みがいつも満ち溢れるように祈ります。

一言:私たちには栄光たる望みがある



2001年 02月 23日 (金)

ローマ人ヘノ手紙 8:26-30
働かせて益としてくださる神様

Ⅰ.弱い私たちを助けてくださる聖霊(26,27)
私達は弱いので、難しいこの世で果たして信仰を守り、その栄光をともにすることができるのかと疑いが生じる時があります。しかし、御霊が私たちの弱さを助けてくださいます。私達は、祈ろうとしても、どのように祈ったらよいか分からない時がたまにあります。また、神様の御心が理解できず、深い絶望を感じ、ため息するときもあります。しかし、この時私たちは言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださる御霊に頼って、続けて祈るべきです。この時、御霊が私たちの代わりに神様の御心のとおりに祈ってくださいます。
Ⅱ.働かせて益としてくださる神様(28-30)
私たちは、信仰によって生きながらも苦難に会うと、神様の愛を疑い絶望して感情的になりやすいものです。しかし、神様は神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、すべてのことを働かせて益としてくださるのです(28)。私たちの人生の一断面は失敗したように見えても、神様は全体をご覧になり、益としてくださるのです。私たちが、この神様の主権と愛を信じる時、ヨセフのようにどんな苦難のなかでも勝利の人生を過ごすことが出来るのです。
神様が、私たち一人一人に置かれた御心は、イエス様の形にしようとするのです。私達を知り、定め、召され、義を認められた神様が私たちに必ず栄光をお与えになります。

祈り:主よ、すべてのことを働かせて益としてくださる神様を信じて、神様が行かれた道を大胆に行けるように助けてください。

一言:働かせて益としてくださる神様



2001年 02月 24日 (土)

ローマ人ヘノ手紙 8:31-39
圧倒的な勝利者となるのです

Ⅰ.すべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう(32)
神様は、私たちが敵になった時、私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私達に恵んでくださらないことがありましょう。今まで神様は、私たちに最も良いものをくださったし、現在も最も良いものをくださっています。この神様の絶対的な愛を信頼する時、私たちは難しい世に勝つことができます。
Ⅱ.キリストの愛から引き離すのはだれですか(33-39)
私たち信者も、信仰によって生きる時、誤って人から誹謗を受ける時があります。この時、自ら罪に定めたり、不義に陥ってはいけません。私たちの裁判官になられる神様が、罪がないとおっしゃるのに、だれが私たちを罪に定めることが出来るのでしょうか。死者から復活されたイエス・キリストが、今も神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
サタンは空き間さえあれば、私たちを神様の愛から引き離そうとするのです。患難や苦しみを通して、迫害や飢えを通して、あるいは裸や危険、剣を通して神様の愛を疑わせます。しかし、私達を愛する神様を見上げる時、圧倒的な勝利者となるのです。私達は死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません(38,39)

祈り:主よ、私が一生主の愛に対する確信のなかで、最後の栄光に至るまで勝利することを信じます。

一言:恵んでくださらないことがありましょうか。


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