聖書別日ごとの糧   >>   ローマ[2001]

2001年 02月 25日 (日)

ローマ人ヘノ手紙9:1-5
パウロの同胞愛

Ⅰ.パウロの悲しみと痛み(1-3)
パウロは、イエス・キリストの中にある驚くべき救いと、救いの御業の秘密を悟るようになりました。彼は、イエスのなかにある神様の愛がどれほど大きいかを体験しました。パウロは、イエス様のなかにある救いの喜びと救いの秘密を世の万民に伝えたかったのです。ところが、自分の同胞イスラエルが、イエス様を排斥していました。彼は、この事実に非常に心を痛めました。彼は、自分がキリストから引き離されて、呪われた者となっても同胞イスラエルが救われるのを願いました。パウロは、同胞イスラエルを心から愛しました。
Ⅱ.イスラエルの特権(4,5)
イスラエルは、神様の子として選ばれました。神様は自分の聖なる栄光を彼らに現されました。異邦人が偶像崇拝の奴隷になっていた時も、イスラエルは創造主神様を礼拝し、仕えることができました。また、神様はイスラエルのなかでアブラハム、モーセ、ダビデ、ダニエルのような信仰の先祖たちをくださいました。何よりも、最も大きい祝福はキリストがユダヤ人の姿で生まれたことでした。彼らは、イエスの御言葉を直接聞いて学ぶことが出来ました。しかし、イスラエル人は、神様がくださった祝福を担えないでむしろキリストを十字架につけて死なせました。パウロは、このような同胞イスラエルを考える時、非常に心が痛くなりました。

祈り:主よ、わたしがパウロの牧者の心情を学べるように祈ります。この民族と世界に対する燃え上がる牧者の心情を与えてください。

一言:わたしの同胞、肉による同国人のために



2001年 02月 26日 (月)

ローマ人ヘノ手紙9:6-13
真のイスラエル

Ⅰ.約束の子孫(6-9)
神様は、イスラエルを祭司の国とし、彼らを通して人類を救おうとされました。しかし、イスラエルはイエス様を排斥しました。こうなると、イスラエルに置かれた神様の望みが無効になったように見えます。しかし、パウロは、だれが真の意味でイスラエルなのかについて考えました。アブラハムには多くの息子がありましたが、神様はイサクから出る者があなたの子孫と呼ばれると言われました。肉的にアブラハムの子孫だからと言ってイスラエルではありません。神様の約束の子孫であるイサクだけがイスラエルになり得ます。私たちが神様の約束を真実に信じる時こそ、アブラハムの真の子孫であり、救いの子孫になりえます。
Ⅱ.神様の御心(10-13)
リベカは双子をみごもりました。彼らがまだ生まれていない時から、神様はすでに彼らに志を置かれていました。ヤコブとエサウがまだ生まれてもおらず、善も悪も行わないうちに、神の選びの計画の確かさが、彼らの行ないにはよらず、神様の主権によってヤコブを選びました。これは、神様の御心が人間の行為や条件ではなく、神様の主権によってなされることを教えてくださいます。ですから、真のイスラエルは、単に神様の主権的な選びによって決定されます。私たちが神様の子孫になって神様の御業に用いられるのはただ単に神様の恵みによるものだけです。

祈り:主よ、私がこの驚くべき選びの恵みを覚え、一生救いの恵みを担う人生とならせください。

一言:わたしを選ばれた神様の恵み



2001年 02月 27日 (火)

ローマ人ヘノ手紙9:14-29
憐れみの神様

Ⅰ.憐れみの神様(14-18)
神様は憐れむ者をあわれみ、いつくしむ者をいつくしみます。神様は全知全能な創造主であられます。神様はすべての人間を自分の善なる志と目的の中で創造されました。神様は高慢なパロを通して自分の善なる御業をなされました。神様は、大きい憐れみをもって資格のない私達を選ばれ、われわれを自分の救いの御業に貴く用いられます。これは全く神様の憐れみなのです。
Ⅱ.陶器を作る者と土の喩え(19-29)
神様が人をかたくなにされ、かたくなな人を裁かれるなら、神様が間違っているのではないかと考えたくなります。しかし、私たちは神様を責めることができません。なぜなら、神様は陶器師であり、私たちは土に過ぎないからです。陶器師は土を持って勝手に様々な種類の器を作ることも出来るし、気にいらない器は壊すことも出来ます。しかし、神様の主権は善です。神様の裁きの器である異邦人を滅亡させないで、長い間耐え忍び憐れみを施し、神様の子とします。また、憐れみの器であるイスラエルのなかで残った者たちとさせて下さいます。神様は彼らを通してその栄光を知らせます。神様は絶対主権を持っておられますが、少しも不義を行われません。いつも善たる自分の主権を行われます。

祈り:主よ、呪いの器を憐れみの器としてくださり感謝いたします。この恵みを常に感謝しながら生きるように助けてください。

一言:神様の善なる主権



2001年 02月 28日 (水)

ローマ人ヘノ手紙 9:30-10:13
救いに至る道

Ⅰ.神様の義を追い求めないイスラエル(9:30-10:4)
使徒パウロの切なる祈り題目は、イスラエルが救いを得ることでした。イスラエルは神様に熱心でしたが、真の知識を求めないで自分たちが作った律法に熱心でした。彼らは、神様の義について知りませんでした。ですから、熱心であればであるほど結果的には神様の義に服従しなくなりました。神様の義は、イエス・キリストです。キリストは律法の終わりです。自分なりに律法に従うより、イエス様を信じるべきです。
Ⅱ.救いを得る道(5-13)
多くの人々が、救いを得るために超人的な努力と節制と苦行をすべきだと考えます。しかし、人には限界があるので、決して救いを得ることが出来ません。
救いの道は、遠い所にあるわけではありません。信仰の御言葉、すなわち聖書のなかにあります。また、救いの道は難しいものでもありません。イエス様が私の罪のために死なれたわたしの救い主であることを心から告白すれば、救いを得ることができるのです。超人的な努力と節制と苦行をしてもイエス様を信じない者は辱められます。

祈り:主よ、私が神様の義になられたイエス様を信じ従順して生きるより、自分なりに熱心に生きたことを悔い改めます。私が瞬間瞬間イエス様を単純に信じて従順するように助けてください。

一言:心から信じ、口で告白する


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