聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2013]

2013年 01月 27日 (日)

Ⅰコリント1:1-9
神は真実であり

Ⅰ.聖なるクリスチャンたち(1,2)
 使徒パウロは、使徒の権威で手紙を書きました。ソステネは以前、コリントの会堂司でしたが、むちで打たれ(使18:17)、その後、クリスチャンになりました。クリスチャンは聖なる国民として召されました。
 イエス様の血が私たちの血をみな洗い流してくださったので、私たちは聖なるものです。私たちは、罪深い世の中で、聖なる国民として生きなければなりません。私たちがイエス様の御名を呼び求め、全てのことにおいて、イエス様に頼る時だけが、聖い生活をすることができます。
Ⅱ.最後まで堅く守ってくださる神様(3-9)
 使徒パウロは、コリントの聖徒たちの中に起きている恵みの御業によって、神様に感謝しています。パウロが御言葉を伝えた時、神様の御霊が働きました。福音が彼らの中で確かなものとなり、福音は世俗的な人々を聖なる者と変えました。
 御霊の賜物が彼らの中で満ち溢れました。使徒たちは弱い存在です。しかし私たちを呼び、御子イエス・キリストとの交わりに入れられた神様は真実な方です。神様は変わりがありません。神様は、私たちを、最後まで堅く守ってくださいます。

祈り:主よ!赦しの恵みと御霊によって、感謝します。弱い私たちを、再び来られる日まで、守ってください。

一言:私たちを召してくださった神様は真実な方です



2013年 01月 28日 (月)

Ⅰコリント1:10-17
キリストが分割されたのですか

Ⅰ.どうか、みなが一致して(10-12)
 それぞれの使徒たちを尊敬していた聖徒たちは、自分たちがどの使徒に属しているのか、と言いました。彼らの問題は、あまりにも使徒たちを尊敬し、まるで彼らがキリストであるかのように、考えていたことです。そうしているうちに、聖徒たちの間に、仲間割れが起こりました。使徒パウロは彼らに言いました。「どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。」彼らはみな、キリストの中に属しています。それで、みなが同じ心、同じ判断で、一致していなければなりません。私たちの間でも、そうでなければなりません。
Ⅱ.福音を信じなさい(13-17)
 水のバプテスマが聖徒たちを分割してしまいました。ある人はペテロからバプテスマを受けたことを誇り、別の者はパウロから、また別の者はアポロからバプテスマを受けたことを誇りました。彼らは、バプテスマが何か霊的な有益をもたらすかのように、勘違いしました。
 しかしただ、イエス・キリストの十字架だけに力があります。福音だけが私たちを救います。人の知恵は分裂を招きます。イエス様の十字架を受け入れ、伝える時に、分裂は消えて行きます。

祈り:主よ!キリストの十字架の下にとどまらせてください。キリストの十字架が私たちを救います。

一言:キリストの中で一つ



2013年 01月 29日 (火)

Ⅰコリント1:18-25
神様の知恵、人の知恵

Ⅰ.十字架の福音(18-21)
 十字架の福音は弱く、愚かなもののように見えます。信じない人々にとって、イエス様の死は失敗であり、敗北であるかのように見えます。しかし、イエス様を通しての神様の赦しと救いを受け入れる人々には、十字架の福音はいのちです。なぜなら、イエス様が私たちの罪を踏みつけ、死を征服されたからです。
 イエス様を信じる私たちには、十字架は神様の力です。それは、十字架が、神様が私たちにくださった唯一の救いの道だから、です。神様の道を退ける者は滅びます。
Ⅱ.神様の力と知恵であるキリスト(22-25)
 ある人々は、もし神様が劇的に大きな奇蹟を見せてくださるなら、神様を信じると言います。また、別の人々は、知的な思索や推理によって、神様を信じようとします。人の判断を信じようとします。これは、神様を知る正しい道ではありません。神様はイエス様をお遣わしになりました。イエス様の死と復活が福音です。これが、神様の知恵であり、力です(24)。それを信じる者は、誰でも救いを受けます。救いといのちのために、私たちがしなければならない唯一のことは、神様の知恵であるイエス様を信じることです。

祈り:主よ!私たちに、霊的な目をくださり、キリストが神様の知恵であり力であることを、堅く信じるようにしてください。

一言:キリストは神様の力



2013年 01月 30日 (水)

Ⅰコリント1:26-31
あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい

Ⅰ.神様は、この世の愚かな者を、選ばれました(26-29)
 神様がなされた御業を忘れてしまい、傲慢に陥りやすいです。霊的な傲慢は聖徒たちの共同体を破壊します。神様は人を救うために、愚かな方法を選ばれただけではなく、福音を世の中に知らせるために、愚かな者を選ばれました。自分が召された時のことを考えて見ると、神様の大きな恵みと愛が分かって来ます。神様は愚かな者を選ばれることで、世の中の知者や権力者、身分の高い者をはずかしめられました。それによって、神様の御前でだれをも誇らせないためです(29)。神様は、傲慢な者たちに、敵対されます。自分がどうだということで、自分をだましてはいけません。
Ⅱ.キリストは私たちの知恵であり、義です(30,31)
 私たちがイエス様のうちにあるのは、神様の恵みと愛によって、です。私たちはそれを受けるために、何もしていません。さらに進んで、私たちには善や義が何もありません。しかし私たちがイエス様のうちにあるので、イエス様は、私たちにとって義と聖めと贖いと、になられました。それで私たちは人を誇るのではなく、イエス様を誇らなければなりません。

祈り:主よ!私が傲慢で、あたかも自分が何であるかのようにふるまっていたことを、悔い改めます。イエス様の恵みと愛によって、イエス様だけを誇ります。

一言:イエス様を誇れ


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