聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2013]

2013年 02月 08日 (金)

Ⅰコリント6:1-11
世の法廷に訴えてはいけない

Ⅰ.教会を軽んじる行為です(1-7)
 神様は、私たちを罪から救い出され、世をさばく権威もお与えになりました(2,マタ19:28)。クリスチャンは、天の御使いまでもさばくことができます。このようなクリスチャンが、世の小さな事件をさばくことは、非常に簡単なことです。それでも、クリスチャンが世の法廷に訴えて、不信者たちから裁判を受けることは正しいことではありません。
 これは、信じない人々の前で、教会の名誉を傷つけることです。そのことで、不信者たちがクリスチャンを批判します。クリスチャンの問題は、どこまでも神様の御言葉に基づいて、信仰によって解決しなければなりません。また、教会で知恵ある人を立てて、解決することのできます(5)。同じ兄弟を、世の法廷に引いて行くことより、むしろ不正をも甘んじて受け入れるほうが良いのです(7)。
Ⅱ.だまされてはいけません(8-11)
 兄弟を訴えるのは、根本的に欲望があるからです。それで、兄弟を訴えることは、自分の欲望を合法化しようとする欺瞞行為です(8)。兄弟を愛せず、許せない者は、神様の愛と赦しを受けることができません(マタ6:14,15)。パウロは、このように自分をだまし、ついには自分の欲望を満たす者は盗む者や略奪する者のように、神様の国を相続することができない、と言いました(9,10)。

祈り:主よ!自分に、少しでも損をしようとしない悪い心があることを発見し、切に悔い改めます。私に赦しと愛を施してください。

一言:むしろ損をしよう



2013年 02月 09日 (土)

Ⅰコリント6:12-20
自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい

Ⅰ.不品行を避けなさい(12-18)
 食物は腹のためにあり、腹は食物のためにあります。二つの間には、密接した関係があります。このように私たちのからだは、主のためにあり、主も、私たちのからだのためにおられます。そして、神様は主を再びよみがえらせたように、私たちのからもよみがえらせます。私たちの体は、将来神様の御国を相続する尊いものです。また、私たちはキリストのからだです。それで、どのようにしてキリストのからだを遊女の引き渡すことができるのでしょうか。不品行は罪です。不品行はキリストのからだを遊女のからだにし、たましいを殺します。
Ⅱ.自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい(19,20)
 キリストが私たちを救われたことによって、私たちのからには聖霊が住まわれるようになりました。私たちのからだは、今や聖なる御霊の宮です。私たちのからだは、もともと罪に売られて奴隷になっていましたが、キリストが血で買い取ってくださいました。今、私たちのからだは、私たちのものではありません。それで、私たちは、自分のからだを生きた供え物として神様にささげ、神様の栄光を現わさなければなりません(ロマ12:1)。

祈り:主よ!私の体に対して、軽く考えていたことをお赦しください。今から、私のからで、主の栄光を現わします。

一言:自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい


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