聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2013]

2013年 03月 11日 (月)

1コリント12:1-11
御霊の賜物

1.御霊の中心となる御業(1-3)
 コリントの聖徒たちも、過去には偶像崇拝者として、ものを言わない偶像の所に引かれて行き、不思議な体験をすることで満足を得た人々でした(2)。これはサタンの仕業であり、悪霊の働きでした。悪霊の支配にある者は、決してイエスを主と認めることができません。
 しかし、コリントの聖徒たちは今、「イエス様は主です」と認めました(3)。これが、最も大切な御霊の働きです。御霊がしようとされる最も大切なことは、イエス・キリストの十字架とよみがりの福音を悟らせ、イエス様が主であることを認め、告白させることです。それで、誰でもイエス様を主キリストと認める者はみな、御霊を受けた者であり、御霊の支配を受けている者です。
2.御霊の賜物(4-11)
 御霊は一つですが、御霊の賜物は多様です。御言葉の賜物、信仰の本質を悟らせる賜物、いやしの賜物、預言、霊を見分ける賜物、異言の賜物など多様です。同一の御霊によって、一人一人に違う賜物をくださったのは、共同体全体の有益のためです。
 御霊の賜物の間には、優劣がなく、ただ役割の違いがあるだけです。御霊が、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださいます(11)。

祈り:主よ!御霊がこの罪人を憐れまれ、救ってくださり感謝します。賜物を主に仕えることに使います。

一言:同一の御霊、多様な賜物



2013年 03月 12日 (火)

1コリント12:12-31
キリストのからだに属する器官

1.自分に対する劣等意識を捨てなければなりません(12-20)
 からだは一つですが、多くの器官があり、その器官はかたちや機能がそれぞれ違います。教会もキリストをからだとした、それぞれ違う器官として構成されています。職分や機能の面でだけ、騒ぐ人々がいます。しかし目立たない人もいます。それで、劣等意識に陥り、「消えてなくなった方が良い」とさえ、考えます。
 しかし、目立たない器官だからといって、必要ないのではありません。手が必要なように、足も必要であり、目が属しているように、耳も属しています(17,18)。からだに、一つの器官だけがあるのではありません(19)。それで、劣等意識を捨てて、器官であることの自覚を持たなければなりません。
2.優越感を捨てなければなりません(21-31)
 私たちの体で、目が見ることをするからと言って、見ることのできない手に向かって「必要としない」と言ったり、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできません(21)。神様は、比較的に弱いと見られる器官を、かえってなくてはならないものされ、比較的に尊くないとみなす器官を、ことさら尊ばれ、全ての器官をみな同じように尊ばれました。
 それで、争いがなく、調和が取れ、苦楽を共にするようにされました。それで、教会内で、それぞれが優越感を悔い改め、互いにその職分と位置を認めなければなりません(28-30)。

祈り:主よ!私たちが、劣等感や優越感に葛藤し、キリストをないがしろにしがちです。器官としての自覚を持つように、助けてください。

一言:劣等感や優越感の代わりに、器官としての自覚を


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