聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2015]

2015年 06月 24日 (水)

1コリント2:1-5
神の力にささえられるため

1.パウロの決心(1,2)
 パウロは水準の高い学者でした。しかし、メッセージを伝えたり、あるいは聖書を教える時には、自分の知恵を誇ったりしませんでした。ただ、私たちの罪のために、十字架につけられたイエス様についてだけ、知ろうと決心しました。ただ、イエス様だけを伝えようとしました。
 私たちがクリスチャンになるためには、多くのことを知らなくても良いのです。ただ、キリストが、私たちの罪と世の中の全ての人々の罪のために、十字架につけられたことだけを知っていれば、よいのです。もし、イエス様のことが分からなければ、全ての知識が私たちを救ったり、助けたりすることはできません。
2.信仰は、神様の力に基づくものでなければなりません(3-5)
 パウロが、コリントに初めて来た時、コリントの人々が道徳的に堕落していたことに、途方にくれていました。彼はどうしたら良いのかが、分かりませんでした。彼は弱くなっていました(3)。そのような中で、彼は自分の言葉の力ではなく、御霊の力が現れることを願いました(4)。
 その目的は、聖徒たちの信仰が、人の知恵にあるのではなく、神様の力にあることを願ったからです。神様の、復活の力によって生じる信仰が、本当の信仰です。それで、信仰を持つために、私たちはまず、完全に神様に頼らなければなりません。

祈り:主よ!神様が、私のうちに、力強く働かれる時、私たちの信仰が生まれ、成長します。力強く働いてください。

一言:信仰は神様の力の賜物



2015年 06月 25日 (木)

1コリント2:6-16
キリストの心を持ちなさい

1.神様の奥義としての知恵(6-10)
 神様の隠された奥義としての知恵は、世を愛する人々には理解できない知恵です。神様の奥義は、神様を愛する者たちのためのものです。長い間、隠されて来た奥義は、神様が世を愛され、そのために、全ての人々の罪のために、ご自分のひとり子を遣わされたことです。
 もし、世の中で、地位の高い人がこれを知っていたなら、彼らはイエス様を十字架につけたりはしなかったことでしょう。神様は、ご自分の愛と赦しを受け入れる人々に、御霊をくださいます。また、そのような人々を愛されます。私たちは、神様の奥義を知らなければなりません。
2.御霊の人(11-16)
 神様は、御霊を通して、ご自分の奥義を私たちに示されました。世の知恵では、神様の御業を理解することができません。神様の御霊が臨まれる時、私たちは肉体を持っていますが、神様の御心と、その愛と、福音が分かるようになります。
 霊的な人は、キリストの心を持った人です。そのような人は、神様の観点から物事を見ます。世俗的な人々は、実質上の利益があるのかないのかを、基準にして、物事を見ます。私たちは、世俗的な人々の判断と誤解に流されてはいけません。

祈り:主よ!私たちが、長い間、隠されていた神様の愛と、キリストの福音を知り、霊的な人になることを願っています。

一言:神様の愛を知ろう


<<(1)    前のページ(1)    2    次のページ(3)    (16)>>

聖書別日ごとの糧