2015年 08月 21日 (金)
世の法廷に訴えてはならない
1.教会を辱しめる行為です(1-7)
神様は、私たちを罪から救い、世界をさばく権威もくださいました(2,マタ19:28)。クリスチャンは御使いまでも、さばくことができます。このようなクリスチャンが、世の中のごく小さな事件をさばくことは、容易なことです。それでも、クリスチャンが世の法廷に訴えて、ノンクリスチャンに裁判を受けることは正しくありません。
これは、信じない人の前で、教会の名誉を傷つけることです。そのため、ノンクリスチャンはクリスチャンを批判します。クリスチャンの問題は、あくまでも、神様の御言葉に基づいて、信仰によって解決しなければなりません。また、教会で賢い者を立てて、解決することもできます(5)。同じ兄弟を世の法廷に引いて行くことよりは、むしろ不正をも甘んじて受け、だまされたほうがいいです(7)。
2.だます行為(8-12)
兄弟を訴えるのは、根本的に欲があるからです。それで、兄弟を訴えることは、自分の欲を合理化しようとする欺瞞行為です(8)。兄弟を愛せず、赦すことができない人は、神様の愛と赦しを受けることができません(マタ6:14,15)。パウロは、このように自分をだまし、ついに自分の欲を満たそうとする人は、盗む者や貪欲な者のように、神様の御国を相続できないと言いました(9,10)。
祈り:主よ!私に、今も損をしないようにする悪い心があることを発見し、涙を流して悔い改めます。私に赦しと愛を施してください。
一言:むしろ損をしよう
2015年 08月 22日 (土)
自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい
1.不品行を避けなさい(12-18)
食物は腹のためにあり、腹は食物のためにあります。二つの間は、密接した関係にあります。このように、私たちのからだは、主のためにあり、主も私たちのからだのためです。それで、神様は主をよみがえらせましたが、私たちのからだもよみがえらせてくださいます。私たちのからだは、将来神様の御国を相続地として受けるきよいものです。また、私たちは、キリストのからだです。ところが、どのようにして、キリストのからだを、遊女のからだとするのですか。不品行は罪です。不品行は、キリストのからだを遊女のからだとし、たましいを殺します。
2.自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい(19,20)
キリストが私たちを救われたので、私たちのからだには、聖霊が住まわれるようになりました。私たちのからだは、今きよい聖霊の宮です。私たちのからだは、本来罪に売られ、罪の奴隷になっていましたが、キリストが血で買い取られました。今、私たちのからだは、私たちのものではありません。それで、私たちは、私たちのからだを、生ける供え物として、神様にささげる中で、神様の栄光を現わさなければなりません(ロマ12:1)。
祈り:主よ!私のからだに対して、軽々しく考えていたことを、赦してください。今からは、私のからだで、主の栄光を現わします。
一言:あなたのからだで、神様の栄光を現わしなさい
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