2015年 08月 26日 (水)
権利より福音を優先させたパウロ
1.私は使徒ではないのでしょうか(1-14)
パウロは、「私が、なぜ使徒ではないのか」と反問しています。コリントの聖徒たちの中には、パウロの使徒権を認めない人々がいました。しかし、パウロが使徒であるのは、コリントの聖徒たち自身が証印です(2)。
パウロは、他の使徒のように、飲み食いする権利、結婚できる権利、生活費をもらって使う権利がありました。それは、人の例によっても、聖書的に見ても、はっきりしたことです(7,8)。聖徒たちは、たましいの糧を供給している主のしもべたちに仕え、生活を保障しなければなりません。
2.使徒権を一つも用いなかったパウロ(15-18)
パウロは、使徒としての特権を一つも用いませんでした。全ての苦しみに耐え忍び、自給自足して、福音を宣べ伝えました。これは、キリストの福音において、何の障害もないようにするためでした(12)。これは、誰かがさせて行なうのではありません。パウロが志願して担うものでした。
パウロは、自分の特権よりも、福音の御業を大切に思いました。しかし、彼は高ぶる心はなく、謙遜でした(15)。パウロは、値なしに福音を宣べ伝え、その権利を用いないことを、
大きな報いと考えました(18)。私たちは、多くの特権を得ることができますが、福音伝道の有益のために、一つも用いないようにできる信仰がなければなりません。
祈り:主よ!この地の全ての主のしもべたちが、自分の権利よりも、福音を優先にすることで、福音がさらに広まって行くようにしてください。
一言:権利より福音
2015年 08月 27日 (木)
すべての人の奴隷となったパウロ
1.全ての人の奴隷になったパウロ(19-23)
使徒パウロは自由人であり、人間的にも、ローマの市民権を持っていました。キリストの中で、真の自由を得ました。しかし、彼は、すべての人の奴隷となりました(19)。ユダヤ人にはユダヤ人のようになり、ギリシヤ人にはギリシヤ人のようになり、野蛮人には野蛮人のようになりました。これは、更に多くの人を得るためでした。
人々は、一人一人がそれぞれ固有の文化と風習を持っています。それで、彼らを主に導くためには、深い理解と愛が必要です。一人のたましいを得るためには、さまざまな姿で、自分を低くし、謙遜に彼らのしもべにならなければなりません(22,23)。
2.自分のからだを打ちたたいて従わせたパウロ(24-27)
競技場で走る人は多くいますが、賞を受けるのはただ一人です。闘技をする者は、あらゆることについて自制します。パウロは、まるで競技に出るチャンピオンのように、たえず自分のからだを打ちたたいて従わせました(27)。これは、ほかの人に宣べ伝えた後、自分がつまずかないようにするためでした。
スポーツ選手は、朽ちる冠を受けるためであっても、血の汗を流す訓練を積んで行きます。このように主のしもべたちも、朽ちないいのちの冠を得るために、さらに熱心に闘争し、自分と戦って勝利しなければなりません。そうしなければ、成功的な指導者になることができません。
祈り:主よ!私が、パウロのように、全ての人のしもべになるために、血の汗を流す霊的な闘争を担うことができるように、助けてください。
一言:全ての人に対して、さまざまな姿に
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