聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2015]

2015年 08月 28日 (金)

1コリント10:1-13
歴史が与える教訓

1.イスラエルの失敗を鏡としなさい(1-11)
 神様がイスラエルに施された恵みは、本当に驚くべきものです。神様は、奴隷生活をしていたイスラエルをエジプトから救い出されました。葦の海を渡らせ、火と雲の柱で、荒野の道のりを導かれました。神様は、彼らを食べさせ、着させました。しかし、イスラエルはこの恵みを忘れ、偶像崇拝をし、姦淫を行ない、神様を試み、つぶやいて滅ぼされました。この歴史は、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするために、記録されたものです(11)。
 私たちも、神様の大きな愛と力によって、救いを受けました。聖霊のバプテスマも受けました。たましいの糧ももらいました。それで、私たちは、イスラエルの失敗を鏡とし、いつも救いの恵みを覚え、約束の御言葉に従って、生きなければなりません。
2.ですから、倒れないように気をつけなさい
 コリントの教会員の中には、ちょっと知っているからと言って、心高ぶる人々がいました。彼らは傲慢のために、霊的に倒れている人々でした。私たちは弱い存在です。いつ、試練に会い、つまずくか分かりません。それで、いつも試練に会わないように、神様に頼らなければなりません。すると、必ず逃れる道が与えられます(13)。

祈り:主よ!私が、歴史の与える警告を心に刻み、繰り返して罪を犯さないようにし、苦難の時には、さらに主に頼るようにしてください。

一言:歴史を忘れてはならない



2015年 08月 29日 (土)

1コリント10:14-33
神様の栄光のために、行ないなさい

1.偶像礼拝を避けなさい(14-22)
 クリスチャンたちが、聖餐式で、祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることであり、また、裂くパンは、キリストのからだにあずかることです(16)。旧約時代に、イスラエルの民が神様の供え物を食べることは、祭壇にあずかるものです。一方、偶像にささげた肉を食べることは、偶像崇拝にあずかることであり、偶像や悪霊と交わることです。
 ところが、クリスチャンたちは、キリストと偶像に同時に仕えることはできません。私たちが主の杯と悪魔の杯を一緒に飲むことはできず、主の報いと悪魔の報いを同時にあずかることはできません。これは、主をひどく侮辱することです。それで、クリスチャンたちは、全ての偶像礼拝を避けなければなりません(14)。
2.だれでも、自分の利益を求めないで(23-33)
 すべてのことは、してもよいのですが、有益とは限りません。クリスチャンたちの生活には、一つの大原則があります。それは、自分のために生きず、神様と他人のために生きることです(24)。
 私たちは、根本的にどんな食物でも食べることができますが、他の人の良心と信仰のためには、食べないでいることもできます。私たちクリスチャンは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神様の栄光を現わすためにしなければなりません。(31)。この時、多くの人々を救うことができます(32)。

祈り:主よ!私が今から、自分の利益を求めずに、全てのことにおいて、神様の栄光と他の人の有益を求めるように、助けてください。

一言:食べるにしても、飲むにしても


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